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2022年2月9日

2022年2月9日 ディボーション

マルコの福音書 11章

わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる

 新車を買った。いつ、どんな時に乗り始めようか心ワクワクするだろう。しかしそんな時に知らな人が来て「主がお入り用なのです。すぐに、またここにお返しします」と言われて二つ返事でその新車を見ず知らずの人に借用書も無しに貸せるだろうか。今の私は簡単に貸すことはできないと思う。

 この11章はイエスの弟子がだれも乗ったことのない子ろばを借り、イエス様がエルサレムに入るシーンからスタートする。作者のマルコはイエス様の弟子になるとはどんな事なのかをテーマにこの福音書を書いている。子ろばの話だけでなく、この後に続くいちじくの木をのろう、エルサレムの宮を清めるなどびっくり仰天のイエス様の行いが記されている。人間の理解から言えば、時期でないのだからいちじくがなってないのに腹を立てるイエス様はわがままだな、星一徹(若い人は知らないと思うが、巨人の星というアニメの主人公の父親)がちゃぶ台をひっくり返すように、宮で売り買いをしていた人の腰掛けををひっくり返すのは暴力団並みの行いで、これは警察に捕まるな‥‥と思う。しかしキリストの弟子として召された私たちは人の目線ではなく、神様がどうしてこうなさったのかと言う目線で聖書の出来事を読み解く必要がある。やっとそのように読み解くようになって聖書が面白い、奥深いと思えるようになった。

「見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。」(ゼカリヤ9:9)

と旧約聖書にイエス様のエルサレム入場が予言されているので、ろばの持ち主はきっと聖書の教えを学び、心開かれた人だったのだろう。彼のようにありたい。

「わたしは彼らを刈り入れたい。—- 主の言葉 —- しかし、ぶどうの木には、ぶどうがなく、いちじくの木には、いちじくがなく、葉はしおれてる。わたしはそれらをそのままにしておく」(エレミヤ8:13)

 エレミヤによって旧約聖書で主のメッセージが語られている。そしてこのマルコ11章12節から21節で語られる実のないいちじくの木は、信仰が廃れてしまったエルサレム神殿の行く末を示しているそうだ。なぜならイエス様の”宮きよめ”と言われる、腰掛けひっくり返し事件の発端は神の宮、境内で両替や鳩の売り買いをしているのを見たからだ。今の時代なら両替は海外旅行に必要だし、鶏肉はスーパーで買えるし何が悪い?となる。しかし当時の状況を理解する必要がある。

 両替人は礼拝におとずれた人々が使用している貨幣を神に捧げるための指定された貨幣に両替する人の事。アメリカのコインにもあるように人の肖像が彫り込まれているものは偶像礼拝になるので礼拝で使用する事は許されていなかったらしい。そして両替人はその両替手数料で儲けていた。神様に生贄として捧げる鳩も境内で販売されていた。

 夏祭りの際に屋台で焼きそばを買ったことがあるだろうか。肉がほとんど入っていない、そばばかりの焼きそばをもらって五百円払った時は損をした気がした。当時の鳩売りのユダヤ人も鳩販売で粗利を稼いでいたのだ。そんな事が、私たちの教会のラナイで行われていたらどんな気分だろう。ダメに決まっている。なぜなら神の宮はイザヤ書で主が語られているように「祈りの家」だから。

「なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。」(イザヤ書56:7)

 神は私たちを、神を崇め賛美するものとしてつくられた。だから主の計画の中に生きる私には、私の事情で事が進むのではなく、神様の事情で、そして御計画の中で事が進むことを受け入れる覚悟が必要だと今日も示された。現役で働いていた時から既に15年以上が過ぎている。また医療現場に戻るための勉強、試験、トレーニングは困難を極めることは目に見えている。

「今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」(出エジプト3:10)

 80歳のモーセがこのように示されたように、私も神様に現場に戻れと何度となく示されている。しかし私もモーセのように言い訳ばかり言っている。ヨナのように逃げても、神様はいつまでも追いかけてくる。私の事情で物事を考えるのではなく、神様の御計画なのだから信じて従う力を与えられることを切に願う。出来ない理由を神に言うのではなく、神に共に歩んでくださる事を、神に導いていただく事を請い願いたい。

【祈り】

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている

 — 主のことば —-。

それはわざわいでではなく平安を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ書29:11

「若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、種を訪ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。」詩篇 34:10

 天の父なる神様。今日も私に語りかけて下さりありがとうございます。僕はあなたの計画を信じて共に歩みたいです。しかしすぐに心が弱くなり自信がなくなります。たとえ、その歩みの中で、世の常とかけ離れた行動をすることをあなたが示したとしても恐る事なく進めるようどうか私を強めてください。あなたの指し示す方向に進める力を、知恵を、助け手をどうかお与えください。イエス様のお名前と共に感謝して、この祈りをあなたに捧げます。アーメン。

【賛美】祈りの家:作詞作曲・長沢崇史先生

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