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2023年9月19日

2023年9月19日 レビ記5章

「愆祭(けんさい)賠償の捧げ物」

 レビ記は神によってエジプトから救われた民、イスラエル民族が、どのようにして救いの神を拝み、みもとに近づく事ができるのか、特に捧げ物を5種類にわたって記されている。5章は、その最後の捧げ物、愆祭(けんさい)とも呼ばれる、罪過の捧げ物を扱う。しかしこの漢字自体も昔の言葉で聖書以外で見た事はない。

 これは賠償の捧げ物、間違って犯した罪、ここには,罪を犯した後になって良心の痛み、責を覚える時の赦しを求める捧げ物がこの5章には描かれています。

 私達も、ここでのイスラエルの民のように、神の前に潔く歩みたいと熱心に求めていても、道を踏み外して罪を犯すことがあります。この時代では、イスラエルの民は、賠償の捧げ物を持って赦しを乞いましたが、恵の時代にいる私達は、主イエス自身が捧げ物となって私達の罪の代価を払ってくださいました。

 わかりにくい聖書の章を読む時に、自分は繰り返される言葉をまず見つけるようにしています。このレビ記5章で繰り返されるのは、前半では、「後になって責を覚える時」と何度かあって後半には、「彼は赦される」と繰り返され、その間に、愆祭(けんさい)の捧げ物、羊であれ、ヤギであれ雌一匹、買う余裕がなければ山鳩2羽、でもなければ小麦粉、1日分の食料を捧げる、一部は祭司の物になって、赦しが祭司によって確認される事になります。自分で責を覚える場合には、自分でできる範囲の捧げ物をして、赦しを乞いなさいと言う事になります。

 私達はもともと罪に対して鈍感ですから、常に聖書のみことばの光で、自分の心を照らしますと心の闇の部分が見えてきます。神は過失を責め立てようとされているのではなく、癒されて、謙虚な心、砕かれた心で御前に来ることができるようにと、望んでおられるのです。

 18節後半「祭司は彼のために、彼が自覚せずに、また気づかずに犯した過失のゆえに宥めを行う。そして彼は赦される」 こうありますように、私達の祭司となって、父なる神にとりなしをして下さっている主イエスを信じて行きますと、宥めて下さる事を、ここでは予表されているのです。

 

 主イエスを表すために、新約聖書では四つの福音書と使徒の働き、合計五つの書によってイエス・キリストの働きと私達への恵みを表されたわけですが、レビ記においては五つの捧げ物が主イエスを示されています。(1️⃣全焼の生贄:傷のないご自身を神に捧げる、全てをもって捧げる事。2️⃣穀物の捧げ物:捧げられた主イエスの完全なる性格。3️⃣和解の生贄:主イエスの完全な贖いから生まれる交わりの回復。4️⃣罪のための生贄:私達の代わりに罪とされた主イエスの’予型。5️⃣罪過のための生贄:私達の不正が引き起こした損害賠償を肩代わりして下さる主イエスの予表 旧約聖書全解 バクスター著)

 ヨハネの福音書5章39節「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。」

祈り

 現代の私達には、理解しづらいレビ記を通じて御子イエスの姿を見る事ができますように、私達の心に主の光を注がれて、主の栄光を受けられる者とされますように願います。アーメン

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