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2023年9月6日

2023年9月6日 出エジプト記40章

「モーセは天幕に入ることができなかった」

 日本の神社がここで示されている幕屋の構造と似ている事に気づかれたでしょうか。神社の鳥居がなぜ赤いのかは分かりませんが、出エジプトでイスラエルの民が門柱を羊の血で塗った事を思い起こさせませんか。神社の境内に入ると手水舎(ちょうずや)で清めます。幕屋にも洗盤があって身を清めます。香をたてるのは幕屋の祈りを捧げる香壇を思い出させるし、賽銭箱で拝むのは略式参拝、その先にある建物は拝殿といって、ここまで上がって参拝する場合は昇殿参拝・人が神を拝む所です。幕屋で言えば、祭司が礼拝する聖所にあたります。
 
 さらにその奥にあるのが本殿、御神体を安置した建物で年に一度しか入れない所と聞いていますが、まさに天幕の至聖所と同じで、大祭司が年に一度入ることが許されている神の場所です。

 

 35節「モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。」38節「旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。」

 

 真実の神の臨在がある時には、この主の栄光で満たされます。神社の本殿には御神体として鏡があったり、木があったりしますがモーセの天幕には主の栄光が満ちていたのです。これはシャハイナ・グローリーと呼ばれていて、天の光、永遠の光、栄光の光が荒野でのイスラエルの民の40年間の生活を朝晩に守ってくださった真理の光です。 

 

 黙示録22章5節にある、私達が向かっている新天新地にあるのもこの光です。「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々続く限り王として治める。」

 

 しかしながら、今まで主と常に話をしていたモーセでさえも、この天幕に入ることができなかったというのは何故なのだろうか。
 
 モーセはエジプトから神の民を奴隷から助け出す重要な役目を務めたではありませんか。しかしモーセは約束されたカナンの地に入る事もできずに葬られ、その墓の所在も解らないのです。

 33節「また、幕屋と祭壇の周りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けた。こうしてモーセの仕事を終えた」
 
 モーセの仕事は終わったのです。私達もまた、この世においては神から示された仕事が一人一人にあり、その仕事を終える事によってのみ与えられる喜びで満たされるのではないだろうかと想像するのです。
 
 主に栄光を与える、その目的のために支える喜び、これが人生の目的、救いの目的ではないかと思います。
 
 先日は天に召された中野明子先生が、永遠の身体を受け取って、喜びに満たされておられます。

祈り

 私達も、この世において神に栄光を与える仕事が割り当てられて、その目的のために尽くすチャンスを頂けますように。 感謝し主イエスのお名前によってお祈り致します。

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