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1月15日

2024年1月15日 申命記30章

『いのちを選びなさい』 

 モーセは、約束の地への入国を前に、主に従順であることの大切さを教えます。彼はその日、イスラエルの民の前に「いのちと幸い」「死とわざわい」を置くと宣言しました。主を愛し、主の道に歩み、主の命令と掟と定めを守るなら祝福が、しかし主から心を背け、主に聞き従わず、誘惑された他の神々を拝んでそれに仕えるなら滅びを受けることになると厳しく警告しました。将来彼らは、偶像礼拝によって諸国に散らされます。しかし、悔い改めて主に立ち返るなら、主は再び彼らを集めると約束します。如何なる状況に陥っても、主に立ち返るようにとモーセは命じています。なぜならそれだけが希望となるからです。

 旧約時代、アッシリア捕囚やバビロン捕囚によって離散の民となったイスラエルは、「たとえ、あなたが天の果てに追いやられていても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻される」(4)という約束を信じて来ました。確かにネヘミヤやエズラの時代に帰還を果たした民はいましたが、この約束の真の成就はキリスト再臨の時に起こると言われています(マタイ24:31)。

 その時彼らは、囚われの状態から解放され、本来あるべき姿に回復します。すべてのイスラエルが再び主の御声に聞き従い、主のすべての命令を行うようになります。そして主はすべてを満たし、栄える民の姿を見て喜ばれます。

 モーセはイスラエルの将来を予見する中、再び、心を尽くし、いのちを尽くして主を愛することを命じます。戒めである以上、何かこれを行うために学ばなければならないかのように考えがちですが、そうではないとモーセは言います。

「まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる」(14)

 みことばは私たちのすぐ近くにあるとモーセは言います。そしてそれを口にし、語り合い、思い巡らすとき、何をするべきかが与えられるというのです。これは聖書を学ぶことの大切さを痛感するみことばです。

 最後にモーセは、天(神の御座)と地(神の足台)を証人に、「私はイスラエルの前に「いのちと死」「祝福とのろい」を置くが、あなたがたは「いのち」を選びなさい」と命じます。これは私たちへの教訓でもあります。私たちもいのちを選ぶことが命じられています。私たちが直面する諸々の苦難や困難に対して、最善の導き手は主のみことばであることを忘れてはいけないと思いました。

 悪霊は、何とか信者を神から遠ざけさせようと、私たちの最も弱い部分を利用してきます。そして恐れを植え付け、悪霊が用意したもので満たさせようとします。理由のない不安や恐れに見舞われるとき、何よりもまず、みことばを読むことの大切さを痛感します。なぜならみことばは真理であり、私たちを自由にするからです(ヨハネ8:31‐32)。

  

祈り:愛する天のお父さま。みことばである聖書が与えられていることを、心から感謝いたします。如何なる状況にあっても、いのちを選ぶ者でありたいと願います。どうか、みことばによって成長する者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:アイゾン直子

参照:ハーベストタイム「申命記」、e-Sword「KingComment」「Pulpit]「Preacher’s Homiletical]

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