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2月4日

2024年2月4日 マタイの福音書16章

 16章では、パリサイ人とサドカイ人がイエスを試そうとして、天からのしるしを要求した。解説者によると、このしるしとは、エリヤが天から火を呼んだような、圧倒的なしるしだと言われている。その応答に、イエスが16章4節で言われたことに心が触れられた。

「悪い、姦淫の時代はしるしを求めます。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしはあたえられません。」16:4

 「ヨナのしるし」とは、ヨナが三日三晩大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩葬られ、三日目に復活されることを意味している。だが、彼らは全く理解できなかったのである。だが、もし彼らに、見ようとする心さえあったなら、イエスの人格とことばの背後に神の真実な救いのご計画を見ることができたはずだと言われている。

 「ヨナのしるし」とは、そのイエスの人格とことば自体が、神からの最高の「しるし」であるという意味である。しるしに目を奪われ、本質を見ない生き方には注意するべきことであるということである。しるしばかりを追い求めていると、大事な本質を見る目が閉ざされてしまうのである。それは、十二人の弟子たちへの教えであると同時に私たちへの教訓にもつながっていくことである。

 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい。」16:24(抜粋)

 「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」16:25

 

 愛する天の父なる神さま。毎週礼拝にでて、聖書を繰り返し読んでも、あなたのみこころを見ることができないときがあります。聞くことができないときがあります。そのような時には、どうぞ示してください。語ってください。しるしに目をうばわれずに、あなたの御心に触れることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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