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3月30日

2024年3月30日 士師記3章

 主は、イスラエルの民を試みるために、異邦の民を残しておかれた。主の目的は、イスラエルの次世代の者、特にまだ戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためであった。

 イスラエルの民は先住民族を追い払わなかったために、彼らと結婚し、主の目に悪であることを行い、彼らの神、主を忘れて、異教の神に仕えたのである。ヨシュア記24:24「私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います。」と民がヨシュアに誓ったことを忘れてしまったのである。

 

 そして、いよいよさばきつかさ、救助者の登場である。3人の救助者の働きが記されている。その3人の救助者とは、カレブの同族ケナズの子オテニエル、ベニヤミン族ゲラの子エフデ、アナトの子シャムガルである。

 イスラエルの民が主を忘れて悪をおこなった時は、彼らを苦しみの中においやられるが、しかし、彼らが主に叫ぶと救助者を遣わされるのである。彼らの叫びは自分達の罪の赦しの声で、主はそのことを待っておられたのです。主は、彼らに真の神がだれであるかを学ばせるための主のご計画だったのである。

 関牧師がメッセージで語られた、「十字架のイエスさまも天の父なる神に「どうして」と叫ばれたように、私たちも主に叫んでいいんです。」と語られたことが、内容的には違うかもしれないが、このイスラエルの民が主に叫ぶ光景と重なってくる思いがした。

  

 愛する天の父なる神さま。何度も罪をおかす度にイスラエルの民の叫びを聞かれ、助け人を遣わして赦してくださるあなたの深い愛に触れることができて感謝します。私たちも、主に叫び、主に委ねていけるような信仰生活をおくることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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