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4月2日

2024年4月2日 士師記6章

『主の霊がギデオンをおおった』

 イスラエルはミディアン人(アラビア人)によって懲らしめられ、搾取されていた、そのような中でギデオン(伐採者)がミディアン人から隠れるように、小麦を打っている中に主の御使いが現れた。ここはガリラヤ湖から南に下った場所オフラ、やがて祭壇が築かれアドナイ(主)・シャロム(平安)と名付けられます。

 ギデオンはサムソンのように怪力の腕力を持つ者ではありません、むしろ自分の弱さを知っていました。だから余計に、主からのしるしを求めたのです。子羊と種なしパンを焼き尽くしたりして、確かにこれは主の御使いである事を確認した上で、父が敬っているバアルの祭壇を壊すわけですが、彼はそれを堂々としたわけではなく、夜にこっそりとしている姿が気弱なギデオンを表しているようです。

 ところがそのようなひ弱なギデオンが主の霊におおわれたのです。34節「主の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人(マナセ族の氏族)が集まって来て、彼に従った。」次々にイスラエル民族が集まって来たのです。そしてさらに集まった戦士たちの前で、羊の毛を使って、これはギデオンによってイスラエルを救おうとされるしるしを2度も見せて確認をとっています。

 この士師記全体に出てくる主の霊の働きは、イスラエルの民を救うための力の霊、戦いの霊と言っても良いかもしれません。ヨシュアによって約束の地カナンを征服した後の時代、イスラエルの民は、恐らく400年ほど宗教的暗黒時代に入ります、やがてサムエルが王となり王国時代が始まるのですが、それ以前の、偶像礼拝をし、不法の中で信仰が緩んでしまったイスラエルの民の中に、主の霊によって選ばれた士師が現れた時代、これはヨシュア記とサムエル記の間の時代の出来事です。

 さて旧約時代の主の霊と新約時代の霊の違いは決定的です。旧約時代と違って、私たちが主イエスによって頂いている霊は、世界最高の霊であり、命を与える霊であって、戦いの霊ではありませんし、復讐の霊でもありません。柔和な霊であり、七の七十倍赦す力を持った主イエスの霊です。聖霊である主イエスの霊は、敵の罪を赦し、すすんで我が身を十字架にかけられ、肉体の死をもって、全ての人の贖罪のために死ぬほどの霊であります。私たちは、この聖霊に満たされる者となっている事に感謝致します。この聖霊におおわれましょう!

 祈り

 主イエスが私たちに遣わされた、最も聖なる霊に感謝致します。どこまでも愛し、赦しながらも主イエスの栄光を現すためには、はがねのような意志を持って勇敢に暗闇の世に立ち向かう力も下さいました。どうか主イエスの栄光が常に現すことが出来ますように

アーメン  

文:森 宗孝

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