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5月13日

2024年5月13日 ルカの福音書22章

『わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい』 

 過ぎ越しの祭りが近づき、イエスはペテロとヨハネに過ぎ越しの食事のための場所を用意するよう言われました。弟子たちがどこに用意しましょうかと尋ねると、水がめを運んでいる人が入って行く家の二階の大広間、とイエスは言われました。早速弟子たちが町に行ってみると、イエスの言われた通りになりました。

 私はこの箇所を読むとき、いつも疑問を感じていました。水がめを運んでいる人など、町にはたくさんいるだろうに、そんな中からイエスが指定するその人をどうやって見つけたのだろう、という疑問でした。

 これを解釈するには、当時の生活状況を知る必要がありました。当時、水がめに水を入れて運ぶのは女の仕事だったそうです。男は皮袋に水を入れて運んだそうです。つまり、水がめを運んでいる男がいたなら目立って、一目瞭然だったということです。弟子たちはその男のあとをついて行き、彼が入って行った家に入ると、その家の主人によって場所はすでに用意されていました。

 ちなみに教会の伝承では、この家はマルコの両親の家であったと言われているそうです。またイエスが復活して以降の集会なども、この家で行われていたと言います。その他にも、水がめを運んでいた人の水は、イエスが弟子の足を洗う時のための水であったという考えもあり、聖書にそのような記述があるわけではありませんが、そのような伝承を知ることで、当時の風景を想像し、聖書をより一層、身近に感じることが出来ると思います。

 過越しの食事は、イエスと弟子たちにとって最後の晩餐です。その食事の中でイエスは、パンとぶどう酒をもって弟子たちと新しい契約を結び、そして彼らに真の謙遜とは何かを教えられました。そしてペテロには、彼の信仰が主から離れることを伝えられました。ペテロはイエスのことばに反抗しましたが、イエスは彼が自信過剰になっていたことをご存じでした。そしてそれゆえに、彼が自身の信仰に躓くこともご存じでした。

『シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい』(22:31‐32)

『しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい』というみことばは、そのまま私に与えられたみことばでした。主を信じますと告白、洗礼を受け、奉仕に携わり、クリスチャンを名乗ってはいましたが、その心は相変わらず空虚で、何も変わらなくて、周りの兄弟姉妹が十字架のメッセージに涙したり、イエスの愛に感動したりする様を見ながら、どこか疎外感を感じる信仰生活を10年以上も送っていました。赦されたのだから、それでいいと考えていました。

 クリスチャンのようなクリスチャンでない生活を続ける中、体調を崩すようになって、教会に行く気さえ起こらなくなりました。激しい耳鳴りや倦怠感に襲われる中、なぜかみことばに対する激しい飢え渇きを覚えた私は、牧師のメッセージを聞きあさり、それでも足りなかった私は、次にハーベストタイムの中川牧師による学びのメッセージを聞き始めました。

 中川牧師は学びの中で「あなたは救われていますか?」と質問されました。私は心の中で「救われてます」と答えました。さらに先生は「どうして、救われていると言えますか?」「その理由は?」と訊かれ、私は「洗礼受けたし」と思っていると、「洗礼を受けたから救われたわけではないですよ」と言われました。焦った私はこの後、先生のメッセージを聞き続けました。

 この後私は、中川先生が開講されている聖書塾を受講したのですが、それによってやっと自分の信仰に確信が持てるようになりました。何といっても聖書を理解して読むことが出来るようになったことは一番の喜びでした。私はこの喜びを教会の姉妹たちと分かち合いたいと願い、「みことばを学ぶ会」を始めました。

『わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい』

 以前の私の信仰は消えかかっているろうそくの灯のように小さくて、強風に耐えることなど出来ないものでした。しかし主が、私の信仰がなくならないように祈っていてくださっていたから、今があるんだと分かった時、嬉しくて涙が出ました。そして立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい、と言われる主のみこころに応答するように、聖書を学ぶクラスを始めました。これからもこの学びが祝福していただけるよう、心をこめて学びを続けていきたいと思います。

祈り:愛する天のお父さま。私のような、取るに足りない者の信仰でさえ、なくならないようにと祈っていてくださり、本当に感謝いたします。私のような迷子のクリスチャンがたくさんおられるのではと思います。どうか、そのような方々が集ってくださる学び会として用いていただけますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

 文:アイゾン直子

参照:ハーベストタイム「ルカの福音書」

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