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5月16日

2024年5月16日 サムエル記第一1章

『ハンナの涙の祈り』

 サムエルの母であるハンナの涙の祈りの箇所を読んでいて心にせまってきた。母の祈りは山をも動かすと言われるくらいに、母の祈りはまさに母の愛である。それは、計り知れないもので、深い愛に満ちたものである。ハンナの祈りは神の愛に触れられて深みに入ることができたのでしょう。私も人の母として子供のことを涙を流してこれほどまでに祈ってきただろうかと思わされるところである。

 以前にアウグスティヌスの「告白」という短編集を読んだことがある。そのなかで彼の若い頃のすさんだ生き方が母の涙の祈りによって救われるところが今でも印象に残っています。16歳で一人の女性と同棲して子供をもうけて、さらに母の信仰の教えを捨ててマニ教という宗教に入ったのである。母モニカは、教会の司教に泣きながら相談したのである。その司教は、「息子さんをそのままにしておきなさい。ひたすら彼のために主に祈りなさい。」と言ったのである。それから母モニカは毎日二度朝と晩に教会に行って祈ったのである。そして、アウグスティヌスは母モニカの涙の祈りによって救われたのである。

 この二人の母の涙の祈りは内容は違うけれど、実に藁にもすがりたい、又は、苦しい時の神頼みの心境だったのではないでしょうか。二人の長き涙の祈りは最初は自分のための祈りだったかもしれないが、祈り続けていくうちに悔い改められて、まことの神のみこころにふれられたのではないだろうかということが示されました。母であろうとなかろうと私たちは常に祈り込んでいくことではないでしょうか。

 以前に関牧師がメッセージのなかで語られたことが思い起こされました。

 祈りは神に最も近づけることができ、神のみこころを知ることができる。祈ることによって神のご計画がなんであるかを知らされる。

 

 愛する天の父なる神さま。ハンナの涙の祈りに強く心がうたれました。涙を流して祈る母の祈りは愛そのものです。あなたは、涙を流して祈る一人の女の願いを聞き入れないことはありません。わが子を思うハンナやモニカの涙の祈りのように私たちもあきらめずに絶えず祈っていく者にしてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

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