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5月30日

2024年5月30日 サムエル記第一14章

 サウルの息子ヨナタンのペルシテ人を打ち負かす活動ぶりが記されている。ヨナタンの勇気ある行動に賞賛したい気持ちです。彼について行った道具もちもヨナタンの言うようについていったのである。たった二人で切り立った断崖を登って、ペリシテ人の先陣の中に攻めていったのです。何がかれをそこまでさせたのかというと、6節で、主が味方してくださることを知っていて、主の力を信頼していたからです。主を信頼するものは恐れがなくなるのですね。すばらしい信仰のもちぬしだと思います。主はそのようにされて、ヨナタンたちに勝利を与えられたのである。

 息子ヨナタンに比べて父であり王であるサウルは身勝手なところが見えてきました。戦いの中で敵に復讐するまで食をするなと、そして、食するものはのろわれると宣言するのである。戦士に向かってそういう発言することは実に身勝手である。 戦の中でもっとも大事なことは食することです。食べなければ戦うことができないのです。ヨナタンでさえ父サウルを非難して、29節(抜粋)で「父はこの国を悩ませている。ほら、この蜜を少し口にしたので、私の目は輝いている。」と言ったのである。さらに、30節で「もしも今日、兵たちが、自分たちが見つけた敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を討ち取っていただろうに。」と述べているのである。実にまとを言っているのである。ヨナタンは、ここで食することの大切さを語っています。

 ヨナタンが勝手なことをしたのでサウルは、彼を殺そうとしたが、共に戦ってきた勇士たちは、ヨナタンのおかげでイスラエルに大勝利をもたらしたので絶対に死ぬことはあり得ないと抗議したのである。さらに、45節(抜粋)で「主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。」と言ったのである。なんと勇気ある、リーダー思いの部下たちでしょうか。素晴らしいと思わされるところです。そして、ヨナタンの命は民によって救われたのである。

 この親子、サウルとヨナタンをみて思ったことは、サウルの傲慢、愚かさ、身勝手さの性格の現れです。そして、サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあったとあるように、これは、彼自身に平安な気持ちが一生なかったということです。どういうことかというと、彼が神から離れてしまった結果生じたことです。そして、息子のヨナタンは、父サウルとは対照的に、神を信じ、神に信頼していく正直な人であることが感じ取られました。

 愛する天の父なる神さま。サウルとヨナタンの親子から学ばされました。王位の権利をもっていても神から離れてしまえばただの王位にすぎないことです。日々、神とともに歩むことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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