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6月14日

2024年6月14日 サムエル記第一30章

 この章で目に留まったのは、「主によって奮い立つ」(6)というみことばだった。アマレク人に襲われて、街は焼かれ、家族も家畜もみな連れ去らわれたとき、ダビデの部下たちはダビデを石で打ち殺そうと言い出した。サウル王に追われ、逃げ回り、敵であるペリシテ人の地に住むことにすら従ってきた部下たちだった。戦い続きの上、その前の章ではペリシテ人の地に住むために、あやうく同胞をも襲わなければいけないような状況も味わい、ずっと緊張感の中にいて誰もが心も体も疲れていたに違いない。また、ダビデの判断に疑問や不満を持っていた者もいただろう。

 ここにきて、自分たちの留守中にアマレク人にすべてを奪われたのだ。部下たちの怒りが最高潮に達し、ダビデを石打ちにしようと言い出した。この絶体絶命の時、ダビデは「主によって奮い立った」のである。きっとダビデは神様に助けを叫び求め、神様が彼の心を強めて、その状況に立ち向かう力を与えて下さったのだろう。

 神様の導きに従い、アマレク人を追うことになった。そのとき、部下たちもちゃんとダビデについて来るのである。今石打ちにしてしまおうといっていた者たちがである。29章でイスラエルを襲うことをせずにすんだことも含めて、ここにダビデに対する神様の守りを感じる。結果、すべて失うことなく奪い返し、戦利品まで得た。

 

 ダビデはいつも神様を愛し、神様に従って生きようとしていた。でも、どんなにサウル王にとって自分は敵じゃないと示しても信じてもらえず、王に追われ続けて、うんざりしていただろう。絶望と否定的な思いに支配され、神様に伺うことをせずにペリシテ人の地に住むという決断をした。(27:1)自分を守ることを考えて、それが一番安全だと判断したのだ。なのに、すべてを失い、サウル王ではなく、部下たちにいのちを取られそうになったのだ。それは全く想定外だっただろう。

 神様はそんなダビデを憐れんで下さり、彼がご自分に向き直ってくることを今か今かと待っておられたのではないかと感じた。だから、ダビデがもう自分ではどうしようもない状況に立たされ、神様を求めた時に、すぐに神様の霊がダビデを包んで下さり、力を得たのではないかと思った。

 天のお父様、今日のみことばを感謝いたします。自分の欲しいもの、また、自分の計画があるとき、神様に従っているつもりでも、離れてしまっていることがあることを思わされています。そんな時、間違った判断をしてしまいます。そのことで苦しくなって、やっと自分が違うところを見ていたと気づかされます。でも、今日の聖書箇所のように神様は間違いに気が付き、戻ってくるものをいつでも迎え、また祝福して下さる方です。間違いをたくさんする私ですが、気づくまでそばで支え、悔い改めに導き、また祝福で満たして下さることを感謝いたします。主の御名によって、アーメン。

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