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6月22日

2024年6月22日 サムエル記第二7章

 ダビデはサウル王に命を狙われたり、戦争続きで気の休まらない人生だったが、今神様からいただいた安息の時を過ごしていた。その平安の中で神様の契約の箱のために、もっと最高の場所を用意したい、神様への愛と感謝を表現したいと考えた。

 それに対して神様は、立派な家なんて欲していないこと、イスラエルの民を安息の地に導くことは神様のご計画であったことを語って下さる。そこに、民と共に歩むその道のりが神様の喜びであり、神様がいらっしゃりたい場所だったんだと仰って下さっているようで、神様の愛を感じた。

 

 人は愛の表現として自分がうれしいことを相手にもしてあげようとする。でも、それが相手のうれしいことといつも一致するわけではない。ダビデにとっては最高の愛の表現の一つだった神様のための家造りも神様からしたら、人間の造ったものにはお住みにならないし、(使徒の働き17:24)造ったとしてもダビデにその役割は任せていないという思いだっただろう。(1歴代誌28:3)

 

 それでも、神様はダビデの愛にこたえて、神様ご自身がダビデのために一つの家を造って下さると仰る。ダビデは神様に何かしたかったのに、神様の方がさらに祝福して下さると仰るのだ。これは実際の宮建築と同時に将来の救い主の預言が含まれている。思いもよらないほどの祝福を神様は与えると約束して下さったのだ。宮建築も、ダビデが望んだから、それにこたえる神様の愛の表現として約束して下さったのではないかと思う。

 ダビデは自分の子孫を導き祝福し、神様ご自身がダビデのために家を造って下さるという神様の約束を全き信頼をもって受取り、感謝している。それが自分の願ったものとは違った部分があったとしても、神様の御心が成るように祈る。それは神様こそ神様であり、神様の御心が成ることがダビデの願いだったからだ。この7章のダビデの願いと神様の応答、そしてそれに対するダビデの祈りは、愛と信頼で結ばれた神様とダビデの関係があらわれていると思った。

 天のお父様、今日のディボーションの時を感謝いたします。聖書を通してさまざまな信仰者の歩みを見させていただけることは本当に恵みです。ダビデに倣い、もっと神様を求め、信じ、愛する者にならせてください。私もあなたと愛と信頼の関係を日々深めていくことができますように。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。

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