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6月27日

2024年6月27日 サムエル記第二12章

 主は預言者ナタンを通してダビデが起こした罪の報酬を伝えます。

 実に残念なことである。今まで主に忠実で謙遜な心の持ち主であるダビデはどこにいったのでしょうか。バテ・シェバとの間におかした罪をどうして悔い改めることができなかったのでしょうか。ダビデは、戦いに勝利に次ぐ勝利、王として地位も領地もさらには多くの子どもも得たのです。それが、原因で高慢になっていたのです。ことわざにもあるように、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」になっていたのです。主は預言者ナタンをダビデのところに遣わされて、一人の富んでいる人と、もう一人の貧しい人のたとえ話をします。

 富んでいる人のところに旅人がきたので富んでいる人は自分の持っている多くの羊や牛を惜しみ、貧しい人のたった一頭の羊を奪って調理するたとえ話しを聞いたダビデはその男に激怒し、そんなことをした男は死に値する。と言ったのである。すると、預言者ナタンは、「あなたがその男です。」と述べたのである。そして、主がダビデになさったことを予言者ナタンをとおして語られたのである。ダビデはそこで目のおおいが取り除かれ罪の告白をするのである。「私は主の前に罪ある者です。」13節(抜粋)ダビデの大胆さがあらわされています。その悔い改めでダビデは死なずにすんだが、罪の報酬が、バテ・シェバとの間にできた息子の死である。高慢になることの恐ろしさを知らされる思いです。高慢は、私たちから悔い改めの心を奪ってしまうのです。罪を指摘されたら素直に認めて悔い改めていかなければなりません。

 愛する息子が病気になった時にダビデは、神に願い求めた。断食をして引きこもり、一晩中、地に伏していた。だが、主なる神はダビデの願いを聞き入れず息子は死んだのである。主のことばを蔑み、主の目に悪であることをおこなったダビデへの罪のかいとりではないでしょうか。

 だが、主なる神はダビデが大きな罪をおかしても赦し、さらに祝福をしてくださったのである。アンモン人との戦いで将軍ヨアブはラバの町を攻め取ることができたのである。そして、将軍ヨアブはその勝利の栄光を帰すためにダビデを戦場に招いて戦って攻め取ったのである。なんというすばらしい将軍ヨアブの働きでしょう。自分の目の前にある手柄をダビデに帰すとは。立派な主従関係をみせられます。

 天の父なる神さま。罪を指摘されたら、素直に罪をみとめて悔い改めていくことができますように。地上にいる間は罪との戦いです。その罪も高慢になったら見えなくなってしまいます。そのような時は、どうぞ示してください。たえず謙遜な心をもって歩むことができますように助けてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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