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6月30日

2024年6月30日 サムエル記第二15章

 アブサロムの反乱が実行することが語られています。何ということでしょうか。ダビデは、実の息子に命を狙われて、又もやサウル王から逃避したような生活を余儀なくされてしまったのです。それは、ダビデが主のことばを蔑み、主の目に悪であることをおこなったさばきだったのです。12章10節で、主がナタンをとおして語られたことが今ここに成就していくのである。

 

 「今や剣は、とこしえまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしを蔑み、ヒッタイト人ウリヤの妻を奪い取り、自分の妻にしたからだ。」

 アブサロムの反乱の時にダビデは、エルサレムを離れ、事実上王権を奪われた逃亡者として、まったく無抵抗のまま、無血で逃亡を始めることになる。ダビデは、息子アブサロムと争わずに、すべてを神の御手に委ねつつ、最善を尽くして神の時を待つ者となります。そこにダビデの信仰の姿が回復したのである。ダビデは主に委ねることを決して忘れなかったのです。逆境の中にいるときに私たちが求めるのはただ主だけです。

 多くのイスラエル人が離れていき、又、ユダヤ人からも見捨てられますが、それでもダビデは忠実な家臣に恵まれます。主の憐みがダビデの信仰の回復にあらわれたのではないでしょうか。

 ダビデがオリーブ山の坂を泣きながら登るところはとても胸が痛くなります。涙なしでは読めないところでもあります。ダビデがどんな気持ちでオリーブ山の坂を泣きながら登っていったのか。このダビデの行為は、深い悲しみと悔い改めを表現したものと言われています。この時のダビデの心境を歌ったのが、詩編3篇1~8です。

 

 ダビデの賛歌。ダビデがその子アブサロムから逃れたときに。

1主よ なんと私の敵が多くなり 私に向かい立つ者が多くいることでしょう。

2多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼には神の救いがない」と。

3しかし主よあなたこそ 私の周りを囲む盾 私の栄光 私の頭を上げる方。

4私は声をあげて主を呼び求める。すると主はその聖なる山から私に答えてくださる。

5私は身を横たえて眠りまた目を覚ます。主が私を支えてくださるから。

6私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも。

7主よ。立ち上がってください。私の神よ お救いください。

あなたは私のすべての敵の頬を打ち 悪しき者の歯を砕いてくださいます。

8救いは主にあります。

あなたの民に あなたの祝福がありますように。

                   セラ

 愛する天の父なる神さま。今日の御言葉を感謝します。苦難のなかにあっても私たちが見上げるのは、ただあなただけです。どうかあなたから目をそらすことがありませんように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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