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6月7日

2024年6月7日 サムエル記第一23章

『ダビデのサウルからの逃亡』

 ここでは、ケイラとジフの荒野におけるダビデの逃亡生活が描かれています。ただ、ダビデはサウルの追跡から逃亡していたわけではなく、アドラムの要害に逃亡していた時、「ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています」と言ってダビデに告げる者がいて(1節)、ケイラの町を救うために、ペリシテ人の討伐に向かいます。

 ダビデはペリシテ人によって略奪されたケイラの人々の身を案じ、「行って、このペリシテ人たちを討つべきでしょうか。」と、ダビデが主の託宣を求めた上で行動を起こそうとします。主はダビデに、「行け。ペリシテ人を討ち、ケイラを救え。」と答えますが、ダビデの部下は、ここユダにいてさえ恐れているのに、ケイラのペリシテ人の地に向かって行けるか不安でした。ダビデはもう一度主の託宣を求めると、「さあ、ケイラに下っていけ。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」と主が答えられます。ダビデはその兵士たちの声を退け、御声に従い、ペリシテ人を討ち、ケイラの住民を救いました。

 ダビデは兵士たちの心配を聞くまでもなく、サウルがやがてケイラにおけることを聞き追撃に来ることを察知し、祭司エブヤタルにエポデを持って来させ、サウルが伝えられているとおり、ケイラに下って来て、その際ケイラの住民は自分をサウルに引き渡すかどうか、主に伺いをたてました。主の答えは、ケイラの住民は、ダビデをサウルに「引き渡すというものでした。(12節抜粋)

 これを聞いたダビデは、早速、600人の兵を率い、ケイラを去り、ジフの荒野のあちこちを逃げ回り、ホレシャの要害に隠れます。

 さて、14節の「サウルは、毎日ダビデを追い続けたが、神はダビデをサウルの手に渡されなかった。」という言葉にみて取れるように、この章の主人公は、あくまでもダビデではなく主ご自身です。ダビデがどんなに素晴しい人間であっても、主に用いられる道具に過ぎないということでしょうか。神は、より強力で数の多い軍勢の側にいるとは限りません。数の少ないダビデに神は共におられ、ダビデをサウルの手に渡されませんでした。だからダビデをサウルは捕らえることができませんでした。

 ダビデはジフの荒野を転々とサウルの追撃を逃れて移動し、ジフのホレシャに留まりましたが、そこにもダビデを捕らえようとサウルが出陣しようとしていました。しかし、そこにサウルに気づかれないように、サウルの息子のヨナタンが来て、神に頼るようにダビデを励まし、「恐れることはありません。父サウルの手が、あなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。父サウルも、そうなること確かに知っているのです。」(17節)と語り、ダビデとヨナタンは主の前で契約を結びます。ヨナタンはこのような素晴らしい励ましをダビデに与えて、自分の家に帰ります。この後、二人は二度と会うことはなかったと言われています。

主の祈り:常に、主の御心を仰ぐダビデ、そして、サウルの息子でありながら、ダビデを父サウルの手から遠ざけ救おうとする真の友であるヨナタンの類まれな信仰を垣間見ることが出来ました。私も、彼らのように主の御心を第一に仰ぐ強い信仰を持てるよう、聖霊様助けて下さい。主よ、あなたの愛と恵みを感謝します。 アーメン 

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