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7月3日
なんとダビデの息子アブサロムがクーデータを起こしたのです。ダビデは命からがら王宮を脱出し逃げます。この出来事は、ダビデのウリヤ殺害、バテシェバとの姦淫という罪に対する報いでした。「見よ。わたしはあなたの家の中から、あなたの上に災いを引き起こす。」(2サムエル12:11)と語られたことが成就したのです。
しかし神は、ダビデを滅ぼすことはせずに、クーデターを阻止し、アブサロムを討ち取り、ダビデの王位を回復されたのです。
このアブサロムの死が部下から知らされたとき、ダビデは嘆きます。
「わが子アブサロム。わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。」(33)
自らの命を狙ったクーデター首領であっても、わが子であることに変わらないのです。かといってみすみす殺されるようなことはしません。ダビデは、アブサロムに対抗し策を練り戦いました。しかし一方で、それでも「わが子」なのです。
わが子を愛することは止められない、しかし戦わなければならない。ダビデは、この二つの矛盾する心を抱えていました。それがダビデの苦悩です。
この心は、天の父の心に重なります。愛するひとり子イエスを十字架につけたのです。愛するわが子を裁かなければならないという葛藤、矛盾です。
ダビデの嘆きを通して、天の父なる神の嘆きを想いました。この葛藤と矛盾を超えさせたのは、愛するひとり子イエスを十字架につけることで、人間を救うことができるという事です。それは愛です。愛がすべてを超えるのです。
天の父なる神さま。
ダビデの嘆きに、天の父の嘆きを見ます。その葛藤、矛盾を超えて、イエスさまを十字架に架けられた、あなたの心を想います。十字架は、私たちを救うためであるという、あなたの愛を想います。
今日も、すべてを超える、あなたの圧倒的な愛を受けていることを感謝いたします。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士