『幼きヨアシュ王』
神殿内で、密かに7年間も守られて育ったヨアシュ、きっと彼を守っていた祭司エホヤダの家族は祈りながら育てたことでしょう。ついに祭司エホヤダは、秘密裏のうちにユダのすべての町からレビ人の氏族の頭と連絡をとって、主が与えたダビデ契約、ダビデ王の子孫から本当の王の子が与えられると理解しているレビ人達を頼って、ヨアシュをユダヤの王とし守る契約を結ばせた。
祭司エホヤダの名前の原語は、「主は知っておられる」という意味です。祭司としてきっとかれは神殿に行って、祈るたびに、「主よ、ダビデ王の子孫で、幼いヨアシュをお守りください」と願っていたことでしょう。同時に、「主よ どのようにしてヨアシュを王位につけるべきでしょう?」とも祈ったのではないかと思いました。主は必ず、この願いを聞いて
おられて、知っていると確信したのでしょう。果たして私たちの祈りの中で、主が必ず聞いてくださる祈りとは、どのような祈りなのでしょうか。
幼子に対する祈りというか願いといえば、自分達には、12歳から3歳までの6名の孫娘達がおります、ですから主よ、彼女をお守りくださり、主の道を歩むように導いて下さい。と祈るわけですが、ここでの祭司エホヤダは、幼子だけのためではなく、ユダ王国のため、主の約束されたダビデ契約の実現を祈ったのです。この祈りは聞かれました。
しかし、目を現代の私達に向けると、果たして自分の祈りは神に届いているのだろうか、聞いてくださっているのだろうかと迷うことが多いのではないでしょうか。
ヨハネの手紙第一 5章14節「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」ここで注意しなければならない肝心な所は、神のみこころに従って、という点ですね。
さて、私たちは神のみこころが解って、祈っているのでしょうか。神のみこころは、聖書の中にあり、特に分かり易いのは、この世に人として来てくださった主イエスのことばの中にあるのです。
祈り
どうか自分の理解の浅いために、神のみことば、みこころが読めなかったり、自分自身の欲のために、心にベールが掛かりませんように、主のみことばに沿っての願い、祈りができますように、お導き下さい。 アーメン
文:森 宗孝