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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 サムエルが死んだ後もダビデの一行はユダ族の町々を転々と移動していた。それでもダビデ一行はペリシテ人から民を守っていた。そして、ダビデは若者たちをナバルのところに遣って食料品の催促をした。だが、ナバルは侮辱的な行動で否定して何も与えなかった。その時、ナバルの妻アビガイルはそこに居合わせていなかった。


 ダビデは、ナバルの侮辱的な行動に怒って出陣をした。その後に、アビガイルとの会見となった。自分の留守中に夫のナバルの無礼なる行動を知って急いで食料品をもって部下たちとダビデのところに来たのである。その時の、アビガイルの勇気ある発言が心に留まった。夫のおかした罪を自分の身に負うのである。アビガイルは、神がダビデとともにおられること、そしてユダの地で民を守る王としての働きをしていることを認めていたのである。29節、31節のアビガイルがダビデに語ったことに強く心が動かされました。

 

「ご主人様は主の戦いを戦っておられるのですから。あなたのうちには、一生の間、悪が見出されてはなりません」28節(抜粋)


「人があなたを追って、いのちを狙おうとしても、ご主人様のいのちは、あなたの神、主によって、いのちの袋にしまわれています。あなたの敵のいのちは、主が石投げのくぼみに入れて投げつけられるでしょう。」29節


「理由もなく血を流したり、ご主人様自身で復讐したりされたたことが、つまづきとなり、ご主人様の心の妨げとなりませんように。主がご主人様を栄えさせてくださったら、このはしためを思い出してください。」31節


 何という勇気あるアビガイルの発言でしょうか。ヨナタンが父サウルに訴えたときのことが重なってきました。ダビデは彼女の訴えに従い討伐をやめたのである。そして、ダビデが討たなくとも、夫ナビルは、妻からことのあらましを聞いて突然倒れてその十日後に神によって死んだのである。神の計画を知ることがいかに大切であるかを示された思いでした。


 

 愛する天の父なる神さま。私はクリスチャンという立場を忘れてとんでもない事をすることが多々にあります。そういう時には決まって自分のプライドという罪が先にでてきて、あなたの御声に聞き従うことを二の次にしてしまいます。そのような時に私たちが何を優先順位にするかを見分けることができますように示してください。アビガイルのように神の計画に心を向けることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 サウルはダビデを追い、そしてダビデはサウルから逃れるためにダビデの部下と共にエン・ゲディの荒野の洞穴に隠れています。そして偶然にもサウルがその洞穴に用を足すために入るのです。


 ダビデの部下たちは、これをサウルを殺す絶好の機会と思い、ダビデに『見よ、わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたの良いと思うようにせよ』と言われた、その日です。」(4節抜粋)と促すのです。しかし、ダビデはサウルを殺すのではなく、サウルの上着の裾を切り取るという行動をしたのです。


 ここで私ならば、敵対視されているサウルに殺される立場にいるわけですから、信頼している部下の言葉が神さまの言葉と聴こえ、殺してしまうことが正しいと思ってしまうでしょう。


 しかしダビデは、神さまに選ばれた者であるサウルを手にかけることは、神さまの意に反すると考えたのです。ダビデは、サウルを殺さず上着の裾を切り取ったことすら後悔するのです。


「後になってダビデは、サウルの上着の裾を切り取ったことについて心を痛めた。」5節


「彼は部下に言った。「私がに逆らって、に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼はに油注がれた方なのだから。」6節


 ダビデの神さまへの完全な信頼と、神さまに油注がれた王であるサウルに地にひれ伏し礼をするダビデの謙虚さに心打たれます。

 そして、ダビデはサウルに、危害を加えることはないことを示したうえで、神さまの裁きを信じると伝えるのです。


「どうかが、さばき人となって私とあなたの間をさばき、私の訴えを取り上げて擁護し、正しいさばきであなたの手から私を救ってくださいますように。」15節


 嫌な思いをさせられた時、その人をダビデのようにゆるす心をもつことができ、自分の手で解決しようとするのではなく、神さまに信頼してその導きに従うことが大切なのだと学びます。神さまは私たちの最善を知っており、その計画は私たちの考えをはるかに超えているのです。


「あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしはである。」(レビ記 19:18)


祈り

愛する天のお父さま、私たちが困難な状況に直面したとき、ダビデのように敵をゆるし、あなたに信頼する心を持てるよう助けてください。あなたの導きに従い、あなたの計画を信じることができますように。そして謙虚な心で歩むことができますように。イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン


『ダビデのサウルからの逃亡』


 ここでは、ケイラとジフの荒野におけるダビデの逃亡生活が描かれています。ただ、ダビデはサウルの追跡から逃亡していたわけではなく、アドラムの要害に逃亡していた時、「ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています」と言ってダビデに告げる者がいて(1節)、ケイラの町を救うために、ペリシテ人の討伐に向かいます。


 ダビデはペリシテ人によって略奪されたケイラの人々の身を案じ、「行って、このペリシテ人たちを討つべきでしょうか。」と、ダビデが主の託宣を求めた上で行動を起こそうとします。主はダビデに、「行け。ペリシテ人を討ち、ケイラを救え。」と答えますが、ダビデの部下は、ここユダにいてさえ恐れているのに、ケイラのペリシテ人の地に向かって行けるか不安でした。ダビデはもう一度主の託宣を求めると、「さあ、ケイラに下っていけ。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」と主が答えられます。ダビデはその兵士たちの声を退け、御声に従い、ペリシテ人を討ち、ケイラの住民を救いました。


 ダビデは兵士たちの心配を聞くまでもなく、サウルがやがてケイラにおけることを聞き追撃に来ることを察知し、祭司エブヤタルにエポデを持って来させ、サウルが伝えられているとおり、ケイラに下って来て、その際ケイラの住民は自分をサウルに引き渡すかどうか、主に伺いをたてました。主の答えは、ケイラの住民は、ダビデをサウルに「引き渡すというものでした。(12節抜粋)


 これを聞いたダビデは、早速、600人の兵を率い、ケイラを去り、ジフの荒野のあちこちを逃げ回り、ホレシャの要害に隠れます。


 さて、14節の「サウルは、毎日ダビデを追い続けたが、神はダビデをサウルの手に渡されなかった。」という言葉にみて取れるように、この章の主人公は、あくまでもダビデではなく主ご自身です。ダビデがどんなに素晴しい人間であっても、主に用いられる道具に過ぎないということでしょうか。神は、より強力で数の多い軍勢の側にいるとは限りません。数の少ないダビデに神は共におられ、ダビデをサウルの手に渡されませんでした。だからダビデをサウルは捕らえることができませんでした。


 ダビデはジフの荒野を転々とサウルの追撃を逃れて移動し、ジフのホレシャに留まりましたが、そこにもダビデを捕らえようとサウルが出陣しようとしていました。しかし、そこにサウルに気づかれないように、サウルの息子のヨナタンが来て、神に頼るようにダビデを励まし、「恐れることはありません。父サウルの手が、あなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。父サウルも、そうなること確かに知っているのです。」(17節)と語り、ダビデとヨナタンは主の前で契約を結びます。ヨナタンはこのような素晴らしい励ましをダビデに与えて、自分の家に帰ります。この後、二人は二度と会うことはなかったと言われています。


主の祈り:常に、主の御心を仰ぐダビデ、そして、サウルの息子でありながら、ダビデを父サウルの手から遠ざけ救おうとする真の友であるヨナタンの類まれな信仰を垣間見ることが出来ました。私も、彼らのように主の御心を第一に仰ぐ強い信仰を持てるよう、聖霊様助けて下さい。主よ、あなたの愛と恵みを感謝します。 アーメン 


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