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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「彼は言った。「ユダのすべての人々、エルサレムの住民、およびヨシャファテ王よ、よく聞いてください。はあなたがたにこう言われます。『この大群のゆえに恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。」15節


 ヨシャファテ王が敵の襲来を受けたとき、彼はまず恐れを抱きました。その恐れから、神さまの前に立ち、民とともに断食し祈りを捧げました。


「私たちの神よ。彼らをさばいてくださらないのですか。攻めて来るこの大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいのか分かりません。ただ、あなたに目を注ぐのです。」12節


 彼の祈りには、神さまへより求め委ねられていました。そして、神さまは「これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである」と告げられ、ヨシャファテ王と民はその言葉を信じ、感謝と賛美をもって立ち向かい勝利を得たのです。  


 私自身、この章に深い励ましを感じます。この1年、両親の介護のために日本に滞在し、その間に父の旅立ちを見送りました。父が最後の数日で洗礼を受け、御国へ迎えられた瞬間は、悲しみと希望が入り混じった特別な出来事でした。しかし、日々の中で、私は時折、このままでいいのかどうか、行動を起こしたいと思いながらも、同じような日々が繰り返されているように感じています。  


 そんな中で、15節の「この戦いは神の戦い」という言葉に、深い安らぎと希望をあたえてもらいます。自分の力で状況を変えようと焦るのではなく、神さまにすべてを委ねることで、神さまご自身が最善の道を備えてくださることを信じる大切さを教えられます。また、断食や集中して祈る時間を持つことによって、神さまとの交わりがより深まり、次のステップのための導きを受け取れるのではないかと感じます。



愛する天のお父さま 

 私の戦いがあなたの戦いであると告げられたことに感謝します。この1年、あなたが私の歩みを支えてくださり、父の最後の瞬間にもあなたの救いの御手があったことを心から感謝します。  

 どうか、私が自分の力で物事を解決しようとするのではなく、あなたにすべてを委ねる信仰を深めることができますように。また、あなたとの交わりをより深め、次のステップへの導きを受け取るための時間を持つことができますように助けてください。この人生の旅路を、いつもあなたと共に歩むことができますように。

イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン  


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 先見者エフーはヨシャファテ王に告げた。「悪者を助け、主を憎む者を愛するというのですか。このことのゆえに、あなたの上に、主の怒りが下ります。」(2)  これはユダの王、ヨシャファテがイスラエルのアハブ王と姻戚関係を結んだことを指していると思われる。


 ちょっと考えただけだと、元はアブラハムから出た一つの民族であり、それが2つに分断されている今、姻戚関係に入り、また一つの民族となろうとする事はいいことのように思える。でも、アハブ王は異国の娘イゼベルとの結婚により、イスラエルに偶像を持ち込み、バアル崇拝を広めた人物であり、「彼以前のだれよりも主の前に悪であることを行った」王なのだ。(列王記第一16:30) 

 

 神様はこの状態のイスラエルとユダが交わることを喜ばれなかった。ユダまでもがバアル崇拝を始めかねなかったからだ。実際、民の心は主から離れつつあったのではないかと思われる。


 それゆえこのエフーの言葉を受けて、ヨシャファテはユダの全土を巡り、民を主に立ち返らせた。そして、それぞれの町に裁き人を任命し、主を恐れ、真実と全き心をもって忠実に行うようにと命じた。


 たとえ神様はこのようにお考えになるはずだと思えても、自分の判断に頼らずに、まず祈って神様の御心を求めていくことの大切さを思わされた。また、神様に何らかの形で罪を示された時には、ヨシャファテのようにただ悔い改め、そこから何かできることをしていけばいいのだと思った。


 天のお父様、今日のみことばを感謝いたします。判断を間違っても、悔い改めに導き、立ち返るチャンスを与えて下さることをありがとうございます。数週間前の礼拝メッセージでは、神様を自分勝手に理解していないかということが頭に残りました。今後も神様との関係で間違った判断をするでしょうが、その度ごとにやり直し、真の神様を知ることができるようになることを感謝します。感謝して、イエス様の御名によってお祈りします。


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「まず、主のみことばを伺ってください。」4節(抜粋)


  ヨシャファテ王は富と誉れが豊かに与えられましたが、アハブ王との姻戚関係に入ったために状況が変わっていくことが述べられています。


 アハブ王はヨシャファテ王にラモテ・ギルアデを一緒に攻めることを誘います。その誘いのヨシャファテ王の応答が3節で述べられていますが、彼はあまりにもお人よしな人だなと思わされます。「私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。ともに戦いに臨みましょう。」


 しかし、ヨシャファテ王が敵陣に攻めることに承諾した時に言ったもう一つのことはとても大事なことだと思います。それは、主のみこころを求めるように願うことです。主のみこころを求める願いを持つということは私たちにも言えることでしょう。主のみこころがどこにあるか、何であるかを、私たちは祈っていくことです。


 アハブ王は400人の預言者を集めて彼らに尋ねた。彼の預言者たち全員が攻めるべきだと語ります。しかし、ヨシャファテ王はそれに満足せずに、他にも主の預言者はいないかと尋ねます。アハブ王は一人の預言者ミカヤのことを言いました。自分に対して、いつでも悪い預言ばかりするので嫌いであることも付け足しました。このことに対して、7節(抜粋)でヨシャファテ王が言ったことに心が動かされました。「王よ、そういうふうには言わないでください。」つまり、このことは、預言者を自分の好き嫌いで判断してはいけないという意味だそうです。そして、ミカヤが呼ばれて、主のことばを宣言しました。それは、アハブ王が戦死して、イスラエルの民は羊のように散らされると預言します。アハブの怒りによってミカヤは投獄されますが、ミカヤの預言した通りになり、アハブ王は、敵が放った矢を受けて死にます。


 語られたことは、主は400人の預言者に偽りを言う霊を授けられたというところについて、私でも400人が同じことを預言するなら、それが偽りの霊とは知ることができずに、ただ数で判断してしまうでしょう。すぐ信じてしまうでしょう。本当にそれが主のみことばなのだろうかと疑うことも大事だと関牧師のあるメッセージで語られていたことが思いだされました。



 父なる神さま。主のみことばがどこにあるのかを耐えず、祈り、信じて、求めていくことができますように成長させてください。そして、主が私たちに義なる道を示していただけますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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