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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『信じて神に拠り頼む』


 ダビデ王とソロモン王の時代に統一され栄えたイスラエル王国であったが、次のアビヤとヤロブアムの時代になると北と南に分断されてしまう。


 13章では、アビヤ率いる南ユダ王国の40万人の兵が、ヤロブアム率いる北イスラエル80万人の兵を打ち破り勝つ場面である。

アビヤは敵の半分の兵力で北イスラエルを破ることができた。理由は18節に説明されている。


13:18  「イスラエル人はこのとき屈服させられ、ユダ人は勝利を得た。彼らがその父祖の神、主に拠り頼んだからである。」


 神である主に拠り頼んだ方が勝ちなのだ。神様が北イスラエルを屈服させた、だから南ユダが勝利した。その他、どのような兵法でとかどうやって南ユダが勝利に至ったかは記されていない。つまり人の能力については書いていない。ただ主に拠り頼んだから、と書いてある。


全能の父なる天の神様、

どうか私たちが、窮地に立たされた時、人生であらゆる戦いに臨む時、まずあなたに拠り頼むものでありますように。イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン

           文: マッカーター 政子



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 古代の王たるべきものには三つの主要な義務がありました。強い軍隊を備えて外部からの攻撃から国を守ること。国内の安政秩序を守ること。神殿を建て神々を喜ばせること。しかしイスラエルの場合は、それら三つに加えて、主の律法を学び、王自身がこれに生きることを模範として、人々にも律法に生きることを教えることでした。


 ダビデも、ソロモンも確かにそうでした。しかし、ソロモンの富と勢力を受け継いだレハブアムは律法から離れ、悪事を行い、心に決めて常に主を求めることをしなかったと書かれています。それを全イスラエルの民も倣ったとあります。(1節)


 そんなレハブアムの治世5年目には、エジプトのシシャク王が大軍をもってイスラエルに侵略し、主の宮と宮殿にソロモンが蓄えた富を奪っていき、ソロモン王国の繁栄は踏みにじられ、ユダ王国もイスラエル王国も完全に滅ぼされる寸前でした。


 そのような状況の中で預言者シェマヤはこれらすべては神から離れてしまったレハブアムへの裁きであると伝えます。その時レハブアムは素直に「主は正しい」と認め、悔い改めます。12節にある「ユダにも良いことがあった」ということで、主は「彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与えよう」とされました。


 シェマヤのことばから学べることは、私たちが色々な原因で苦難の中を通らなくてはならないのは神の御計画である。それは神のお導きの中で生きることと、この世の支配の中で生きることとの違いを私たちに見せてくださるためである。神の道から離れて生きていることを認知した私たちが悔い改める時、神は私たちを滅ぶべき道から救い出してくださるということです。永遠の滅びから永遠の命へと導いてくださるのです。


 14節には悔い改めについてさらに付け加えられています。「彼(レハブアム)は悪事を行った。すなわち、その心を定めて常に主を求めることをしなかった。」とあるのは、一度悔い改めれば,それですべて一件落着ではないことだと思います。何かの苦難があった時だけ「主は正しい」と悔い改めるという人生ではなく、いつでも主を認め「主は正しい」と信頼して、神の憐み深さを覚えつつ、謙虚に歩むべきだと教えられます。



愛する天のお父様、あなたの御名を賛美します。私たちがあなたの道から離れて失敗をやらかすような時でも、私たちが悔い改めてあなたの元に戻ってくるとき、あなたは私たちのことを完全に滅ぼされることなく、赦してくださるその寛容さを感謝します。これからも「主は正しい」と心に決めて、どんな時でもあなたを求めつつ、私たちの人生を歩ませてください。アーメン


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『勇気ある行動』


 歴代誌第二11章を通して心に響かされたことは、二つの勇気ある行動でした。

一つ目は、10章で、レハブアム王が命がけでエルサレムに逃げて来て戦争の用意をしていた時のことです。預言者シェマヤに主のことばがあって、そのことをレハブアム王に告げたのである。


「主はこう言われる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟たちと戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰れ。わたしが、こうなるように仕向けたのだから。」―4節(抜粋)― 


 煮えくり返る思いで苛立っていたであろうレハブアム王が、預言者シェマヤを通して語られたこの主の忠告を受け入れたことに対して、実に勇気がいることだったと思います。ダビデ王やソロモン王たちと比べて、主に祈るということがほとんどないレハブアム王にとってはよくできましたとほめたくなる心境にさせられました。これが、ヤロブアムだったらどうだっただろうかと並行して考えさせられるところです。


 もう一つ目は、ヤロブアムの偶像礼拝にもかかわらず、北イスラエルの全部族の中から、イスラエルの神、主を尋ね求めようと心に決めた者たちが、礼拝を献げるためにエルサレムに来たことです。このことも大変勇気のいることだったと思います。真の神を礼拝するために自分の生まれ故郷を捨てることができたのは、彼らが心から真の神を求めるという強い信仰をもっていたからだと思います。


 レハブアム王は逃げてきた人々を受け入れました。そのおかげでしょうか、彼らは三年の間、レハブアム王に力添えをして、ユダの王権を強固にしたのである。人に親切にしていればその報いは、必ず神があたえられるということにつながっていくことだと思います。



 愛する天の父なる神さま。私のような罪びとが救われ、今生かされているのもすべてあなたのおかげです。まだまだ罪をおかす弱い私ですが、いつも悔い改めていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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