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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『主の御心を行う』


 サムエルは主の命令を受けてサウルをイスラエルの王としましたが、全イスラエルを前に語った内容は王政に対する批判でした。主による支配を拒んで、人間の王を求めた民にサムエルは、主の正義によるみわざについて、歴史を通して解き明かし、他の国々のように王などいなくとも、主はイスラエルを周囲の敵から救い出し、平安を与えてくださっていたことを思い出させました。


 サウルを王に選んだのは主ご自身でしたが、それは、許容的御心、であったと言います。許容的御心とは、主の御心ではないけれど、執拗に求めた結果、神が願いを聞いてくださることです。そのことを思う時、自分もまた、御心ではないことを願い、自分で神を動かそうとしたことがあったと反省させられました。神は寛容なお方ですから、無理な願いも聞いてくださいます。しかしそれらもまた罪であるということに気づかされました。


 御心を行いたいと願うことは大切なことだと思います。しかしそれが果たして御心なのかどうなのかについて知る術を知っておくことはもっと大切だと思います。神は御心のままに、私たちのうちに志を立てさせ、事を行わせてくださる、と言います(ピリピ2:13)。御心に沿った正しい判断をするには、聖書による神の語りかけや、祈りの中で与えられる平安を確認し、そして自分の置かれている環境や状況を考慮、さらに信仰の友の助言などを参考に、吟味することが必要だと言います。


 御心に沿った正しい選択は、良い実を結びます。しかしそれが許容的御心によるものであったなら、たとえ実を付けたとしても、いつかは枯れてしまうのだろうと思います。主は許容的御心によってサウルを選ばれましたが、彼は主に忠実な王ではありませんでした。王にはなれたものの、常に疑心暗鬼に苛まれた一生でありました。


 主のしもべとして働こうとする時、特にリーダー的な働きを示された時、それが果たして御心なのか、個人的な願望なのか、または他者の願望を満たすためなのか、示された本人はもとより、それを選ぶ側も、よくよく吟味する必要性を感じました。


 神は侮られるお方ではありません。サムエルが、王政へと移行していくイスラエルの将来を思って語ったことばは、自分に語られたことばとして、教訓にしたいと思いました。


「主に従う道から外れず、心を尽くして主に仕えなさい。」

「役にも立たず、救い出すこともできない、空しいものを追う道へ外れてはならない」

「主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない」

「ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい」

「主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい」

「あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる」(20‐25抜粋)

 


祈り:愛する天のお父さま。許容的御心に甘んじていた私の信仰でさえ、あなたはなくならないようにと祈っていてくださいました。ありがとうございます。心から感謝します。聖書を通し、祈りを通し、また与えられている環境を考慮し、さらに信仰の友の助言をいただいて、正しい判断、主の御心を行う者とされますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:アイゾン直子


参照:Clay「第一サムエル記」中川健一、YouTube「御心を求める方法」松本章宏


『サウルの王としての活動の始まり』


 イスラエルがアンモン人に打ち勝った時にサウルが民に見せた行動に心が動かせられた。イスラエルがアンモン人を打ち破ると、民はサウルに言いました。「『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」この者たちとは、10:27でサウルを軽蔑した人たちです。その時サウルは黙っていたのである。黙ることも神の時だったのではないでしょうか。


 だがサウルは民に「今日はだれも殺されてはならない。今日、主がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださったのだから。」13節 と言ったのである。サウルの民への寛容さは、まさに王の態度ではないでしょうか。これらのことは、すべて神の知恵からきたものです。この戦いの勝利が自分の手柄ではないことをサウル自身がよく知っていたと思います。主に栄光を帰すとはこういうことでしょうね。神への、サウルの謙遜な心が伝わってくるようです。このままずっとその順調な王の歩みをしてほしいと思うところですが、初心を忘れてしまったばかりに後に致命的な失敗を犯してしまうのである。

 

 そして、ギルガルに行ったサウルは、そこで民により再びサウルを王としたのである。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえをささげて、サウルが王になったことをサウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだのである。


 7節(抜粋)「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる。」のところに目がとまった。サウルはどうしてそこでサムエルの名前を用いたのでしょうか。ある解説者によると、王に任ぜられたばかりのサウルより、預言者サムエルの名前がイスラエル全体に知られていたからではと述べられています。賢い選択だと思いました。 


 神への謙遜な心、人への寛容な心、軽蔑されても忍耐をもつ心、これらのことはすべて神の霊がサウルの上に下り、知恵と力を与えてくださったから戦いに勝利できたのではないでしょうか。

 

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」使徒の働き1:8(抜粋)


 愛する天の父なる神さま。サウルが勝てるはずのない戦いに勝利できたのは、彼に神の霊が下ったからできたことを学ばされました。私たちも、内住される聖霊に満たされた毎日を過ごすことができますように導いてください。そして、神への謙遜な心、寛容な心、忍耐をもつ心などを他者にももつことができますように助けてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 十章でやっとイスラエル12部族を束ねる初の王、サウルの登場!どうやって王様として選ばれたのか。前章で、サウルは父キシュの言いつけで、いなくなった雌ろばを探しに行き、しもべに言われるままに「予見者」と呼ばれていたサムエルに会いに行く。雌ろばがいるだろう方向を示してくれると期待していたが、そこで自分がイスラエルの君主となることを告げられる。


 一見偶然と思われるがこういった出会いは全て神様の計画の中にある。人と人が出会うのもそうだし、仕事で会う人々もそうだし、ドンキホーテで長い間会わなかった人に会うのもそうだ。牧師先生が以前言われたように、偶然というのはなく、全てが必然である。


 同じ道を毎日散歩していても、昨日は咲いていなかった、野花が咲いていたりすると嬉しい。神様からの贈り物、道ゆく人をなごませてくれる。偶然その日咲いたのではなく、私が落ち込んでいるその日に野花を見せてくれた、私がそれに気づくと神様はご存知であった。ありがたいことです。そう、神様は全てご存知である。もちろん悪い部分が多くある私もご存知である。その点は怖い。


 十章でめ、主から聞きしていた予見者サムエルから油注がれ、サウルはこれから起こることも告げられる。6節「主の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言(神から預かった言葉を語る)して、新しい人に変えられます。」7節、「これらのしるしがあなたに起こったら、自分できることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。


 王となるものは、まずは部族ごとの選出、なんとくじ引きであった。最小部族のベニヤミンが選ばれ、その中からサウルが選ばれる。くじ引きというのに少し驚いたがそれでいいのだ、だって神様が全て采配しているから。ところがサウルは、22節で荷物の間に隠れてしまった。結局、民が連れ出し、「主がお選びになった王」となる。


 サウルは半信半疑であっただろう。「なぜ、最小部族出身の俺が?」とか「自分は雌ろばを探しにいっただけなのに。自分のようにとるに足らぬものがなぜ。」と思ったかもしれない。よこしまな他の民は、27節「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言った。サウルはこのよこしまな者たちの言動を気にしただろうか?私だったら大いに気にしたであろう。でも神様はサウルに何ができるのかを知っている。


 神の子どもとされた私たちも、同じように神に選ばれた人である。神様はお一人お一人の全てをご存知でどんな性格で何ができるのかも全てご存知である。この章で、恐れずに一歩進んでみようかという勇気が湧いてきた、何せ神様は私とともにいつもいて下さるのだから。感謝です。


祈り: 愛する天の父なる神様、

 今日の御言葉もありがとうございます。あなたにより、選ばれた私たち。すでに聖霊様が内住している。だから自分にできることをしたいです。どうかあなたの御心と私のできること、そして欲を言えば、私のしたいことが重なり合い、一丸となれますように。私の心が曲がっている時、どうか修正の道が与えられますように。あなたに呼ばれた時、アダムやサウルのように隠れずに「はい、ここにおります」と言えるものに変えてください。私にはまだそう言えません。そして、私は欲張りです。あなたがいつもともにいるということをもっと感じられるように気づきを与えて下さい。あなたが既に与えてくださっている恵みにもっと気づくことができますように日々、導いて下さい。

主イエスの御名により祈ります。アーメン


             文:マッカーター政子


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