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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「ソロモンは、エルサレムのモリヤの山で主の宮の建築を始めた。」(1)


 モリヤの山とは、アブラハムがイサクを捧げたあの山です。聖書にはこの2回しか登場しない山です。モリヤの山はエルサレムにありました。イサクの奉献は、イエス・キリストの十字架を示しています。つまり、主の宮(現代においてはイエスを信じて聖霊を内に宿している者たちのこと)は、イエスの十字架の救いの上に建てられるということです。


 ペテロがイエスに答えた「あなたこそ、生ける神の子、キリストです。」(マタイ16:16)、この信仰を土台として、この土台の上に主の宮としての教会、そして私たち一人ひとりが建てられるのです。


 そして、神殿の内部は純金で覆われていました。金とは、神聖さ、純粋さを現わすものです。私たちが主の宮だとするなら、主は私たちの内側を純金で満たしてくださる、それはつまり聖めてくださるということです。


 聖めとは、聖別です。すべてを神のものとしてくださるのです。それは金メッキのように表面的につくろうのではなく、存在のそのものを聖別してくださるということです。


 さらにソロモンの神殿には、純金だけではなく、宝石まで散りばめられていました。まさに「高価で尊い」のです。神は、主の宮としての私たちを最高に良いもので満たしてくださるのです。神にとって、私たちは、それほどに価値ある存在なのです。


 天の父なる神さま


 私たちを、ここまで高価で尊い者として、建てていてくださることを感謝します。どうか私たちの内側が、いつも最高に良いもの、美しいもの、価値あるもので満たされていますように。そして、その宮に主の栄光が満ちていますように。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

                                文:関真士


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『ツロという国』


 いよいよ主の宮の建設が始まろうとしている。ここでツロの王ヒラムが登場して、彼はダビデ王と友情を保っていたので、ソロモンにも手を差し伸べた。主の宮の建築のために、大量の杉の木が必要で、特に良質のレバノン杉を切り出してレバノンから海に下させて、イカダを組んで海路でイスラエルに送る手伝いを約束してくれた。このような力を持ったツロとは、どのような国であったのだろうか。調べてみると聖書にはかなりの箇所でツロの名前が記されていた。


 マタイ11:21「ああ、コラジン。ああベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。」これは主イエスのみことばで、ガリラヤ湖畔で癒しをされたり、主のわざを行いならが伝道し続けたにもかかわらず、主イエスを信じることのできていない湖畔の村々への警告のことばで、コラジン、ベツサイダ、カペナウムに対して悔い改めを促しながら、さばきの日には、異邦人の町で栄えている大きな港町ツロやシドンのほうが、主イエスが直接伝道されたのに信じなかった村々と比べて、イスラエルとの友情を踏みにじった町、ツロとシドンの方が、主のさばきに耐えやすいと比較された場所にツロが出てきています。


 もうひとつ預言書エゼキエル26:15〜17抜粋「神である主はツロにこう言われる。...彼らはおまえについて哀歌を唱えて言う。海に住む者よ、甘えはどうして海から消え失せたのか。その町と住民は海で最も強く、ほめそやされた町であったのに。その町の住民すべてに、恐怖がもたらされた。」何やら海に囲まれた、貿易で栄えている日本、いつまでも主イエスを信じることのできない日本国の事を連想させる、恐ろしい預言に見えてしまいます。


 エジプトやアジア、ヨーロッパとの貿易港として栄え、金銀が山ほどある港町であったツロは、イスラエルと兄弟の契りを結んでいたにも関わらず、裏切って捕囚の民として引き渡した事の罪を負ったのです。バビロンに13年間も抵抗し続けたても属国となり、次にアレキサンドロス大王の軍に包囲され、抵抗の拠点だった島までを埋め立てられて攻められて、1万人が死に、3万人が捕虜となり廃墟の町となった。神に選ばれた民、イスラエルが、自分のためではなく、真の主のために立ち上がる時に、必ず逆らう国々は主によって打ち負かされてしまう事になるのでしょう。


祈り

 主イエスを心から崇める事が始まる、主の宮としてのエルサレムが悔い改めて、私たちが一緒に礼拝する場所となる事を祈ります。主の預言は必ず実現する事を私達は知っております。主よ もう一度おいで下さい。アーメン  

文:森 宗孝


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『ソロモンの治世』


 歴代誌はもともとは一巻の書書だったのが、70人訳聖書から二つに分けられた。この後半、第二の1章から9章までは、ソロモンの治世となり、前半のダビデの治世が終わった後の話となってゆく。しかし、ダビデから王位継承するための争い、後継者となったソロモンの闘いには全く触れていないで、神殿の建築が主題となって進むのが歴代誌の特徴である事を覚えよう。そして10章から36章までは、王国の分裂後の特に北イスラエル王国には触れずに、南ユダ王国の王たちの話に進んでゆく。神への応答が、イスラエル民族の歴史と運命を決定しているという視点から、その中心となる神殿を描いているのです。そして、今の世においても、神への応答が私たちの運命を決めていると言っても過言ではないでしょう。


 この1章にはソロモンの主への願いが描かれています。10節「今、知恵と知識を私に授けて下さい。そうすれば、私はこの民の前に出入りいたします。さもなければ、だれに、この大いなるあなたの民をさばくことができるでしょうか。」ソロモンの知恵とはイスラエルの民を公平に裁くことのできる知恵、神を畏れる知恵のことだったんですね。こうしてソロモンはイスラエルの王となった。


 特にひっかかりがあったのは、13節「こうして、ソロモンはギブオンにある高き所から出て行き、会見の天幕の前を去ってエルサレムに行き、イスラエルの王となった。」自分はてっきり幕屋は、ダビデがすでにエルサレムに移したものと思っていましたが、そうではなかったのでしょうか。確かにダビデは契約の箱をエルサレムに持ち込みましたが、それを囲むモーセの天幕は、まだギブオンというエルサレムから南西の3キロ強の所にあったようです。 ギブオンの関連は歴代誌第一21章29〜30節に、こう記されています。「モーセが荒野で造った主の幕屋と全焼のささげ物の祭壇は、そのときギブオンの高き所にあった。しかしダビデは、神を求めてその前に出て行くことができなかった。主の使いの剣におびえたからである。」と不思議な記載があります。自分には、理解できませんが、ソロモン王がダビデ王さえも恐れたギブオンを訪れて、さらに祝福されたイスラエルの王となったということだろうと思いました。


祈り

 イスラエルの歴史は、異邦人の私達にとって文化の違いのせいで理解が困難な内容も多々あります。どうかそのような中においても、主イエスの姿を見つけ出すことができますように導き下さい。アーメン

文: 森 宗孝


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