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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 系図が続くこの箇所は、聖書通読の難所です。しかし、系図の書かれた意味を考えると、そこから恵みの泉が湧き出ます。


 歴代誌は、ダビデ王とその子孫に焦点が当てられています。なぜなら、ダビデの血筋からメシヤが誕生するからです。系図を記すことでメシヤ到来を待ち望むという期待を持たせるのです。ユダヤ教会の聖書(旧約聖書)では、歴代誌は最後の書になっています。それも、ユダヤ民族のメシヤ待望の願いを意味しているのです。ですからイエスが「ダビデの子」と呼ばれたのは、来るべきメシヤはあなたですね、という意味が込められています。


 3章には、そのダビデの系図が記されています。しかし、その中に「捕らわれ人エコンヤの子は、その子シェアルティエル、」(17)という箇所があります。「捕らわれ人」とは、バビロン帝国によって南ユダ王国が滅ぼされてときのことを示しています。王であるエコンヤ(エホヤキン)は、バビロンに捕囚となって引かれていったのです(Ⅱ列王記24:15)


 この記述は、メシヤが誕生するはずのダビデの子孫が敵の国に捕らわれて行ったという屈辱的な出来事なのです。しかし、あえて「捕らわれ人」という記され方をされているは、このバビロン捕囚の出来事を決して忘れてはいけないということなのです。過去の失敗をあえて記すことで、二度と同じ失敗を犯してはならないという警鐘の意味があります。


 そして真のメシヤであるイエス・キリストが来られたとき、この捕らわれ状態から解放されるのです。ある神学者によれば、現在のユダヤ人は、まだバビロン捕囚の中にあると理解しているそうです。なぜなら彼らにとってメシヤはまだ来ていないからです。


 しかし私たちはイエスをメシヤとして信じているのです。ゆえに私たちはすべての罪の鎖が断ち切られ、神の子とされたのです。この恵みを心から感謝します。 



天の父なる神さま


イエスをメシヤとして信じることができたことを感謝します。私たちは罪の奴隷状態から解放されました。捕らわれ人から自由の人へと変えられました。この恵みに心から感謝いたします。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

                                文:関真士


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『ヤコブよりダビデまで』


 イスラエルと命名されたヤコブから、やがて12部族となる息子達が生まれ、その中のユダからダビデに繋がる本流と、他の子供達からの支流が描かれている。今日は特に注目したいのは、この家系の中に、主が彼を殺されたというユダの長子エル(3節)や主の信頼を裏切ったアカン(7節)など、主の目に悪と見なされた者達もいたということ。人間的な欲の目で栄光の王ダビデの系図を作成するのであれば、主から聖絶された祖先を外してもおかしくない、そうしてダビデ王を祭りあげる事も出来たかもしれない。しかし、醜い真実をも描く事で、この聖書の歴史書としての信頼性があると思う。


 ユダの子エルがなぜ聖絶されたのか、聖書に説明は無い、しかしアカンの方はヨシュア記7章20節「アカンはヨシュアに答えた。「確かに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。」こうしてアカンは石打ちにされて、アコルの谷の石くれに葬られた。とあります。採ってはならないと主が言われた、金の延べ棒や銀2百シェケル、外套などを分捕り品として隠し持っていたのでした。


 他の名には、多少馴染みがあります。12節「ボアズはオベデを生み、オベデはエッサイを生んだ。」

ルツ記4章に、モアブの地から息子達を失って、一人のモアブ人の嫁、ルツを連れて故郷のベツレヘムに戻ってきたナオミの親戚であるボアズが、彼女達を助け、やがてルツと一緒になる話が出てきます。彼から、ダビデの父親となるエッサイが生まれてきたのです。


 イザヤ書11章1節「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」とありダビデの父親からやがてメシアである主イエスが生まれるとの預言となっていることを思い起こしました。


祈り

難解なイスラエルの歴史ですが、主の道を踏み外すだけでなく、主の信頼を裏切る事は命に関わること。今は私たちのために、主イエスの命である聖霊を頂いておりますが、その聖霊を見捨てることにもなり、暗黒の世に落ちることになってしまうのでしょう。どうか我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。アーメン  

文:森 宗孝


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『アダムからヤコブまでの家系』


 歴代誌が始まる、なんだかとてつもない名前の連続で疲れてしまうが歴代誌は祭司的立場からイスラエル民族の歴史を語るので「ほめたたえる」という言葉が合計で22回、「礼拝する」が11回使われている。一方で内容が似通っている列王記は預言者からの歴史観と立場が異なり焦点が異なる事をまず理解しよう。 初めの1章はアダムからヤコブ、2章はヤコブからダビデと順次に続いている。


 日本人も家系を大事にして、家系図を持っている家族も多い。日本では、江戸時代までか、それ以前までか、いったい何世代前までさかのぼるのだろうか。しかし、それ以上にこの歴代誌は、人類の初めのアダムから続いている。イスラエルの民は、自分達が選ばれた民である事を確認する上で、系図が神に創造された最初の人間アダムまでさかのぼっている。


 家系図と言えば、マタイの福音書も第1章では、主イエスの父親ヨセフの家系をアブラハムまでさかのぼって、主イエスは確かにダビデ王の血筋で預言されていたメシアであることを強調している。そしてルカの福音書3章後尾には、今度は主イエスの母方マリアの家系をアダムまでさかのぼって示されている。その中で、例えば親しみやすい名前には、ルカ3章34〜35節には、「ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル」とあります。これを歴代誌1章26〜27節には「セルグ、ナホル、テラ、アブラムすなわちアブラハム」と逆に進みます、そして34節には「アブラハムはイサクを生んだ。イサクの子は、エサウ、イスラエル(つまりヤコブ)」とつながります。 その途中の28節から33節までは、アブラハムのもう一人の息子イシュマエルの家系があるのです。


 イスラエル民族はアブラハムーイサクーヤコブ(イスラエルと名付けられる 創世記35章10節「神は彼に仰られた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルが、あなたの名となるからだ。」こうして神は彼の名をイスラエルと呼ばれた)。この系図上で、イスラエル民族に対して、アラブ民族はアブラハムーイシュマエルの子孫、これが歴代誌28節から33節までイシュマエルの子供達の名前が示されている。ちょっと読んだだけでは、名前の列挙だけで飛ばしたくなる章ですが、聖書は歴史の書でもありますから、この系図にイスラエル民族の流れ、アラブ民族、そしてメシアである主イエスの系図が見え隠れする事を覚えておきましょう。


祈り

聖書には、文化の異なる私たちにとっては、なかなか理解できない箇所も多くあります。どうかそのようなみことばの中にも、主イエスの顔が見えるように導き下さい。 アーメン 

文:森 宗孝


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