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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「喜んで私自身のことを弁明いたします。」(10)


 総督に前に召喚されたパウロは、ユダヤ人からの訴えに対して弁明します。この後、アグリッパ王の前でも「弁明」します。(26:1)


 弁明とは、言い訳とは違います。訴えに対して事実、真実を語ることです。私たちも、信仰について弁明ができるように、充分な備えをしておきたいと思います。


「あなたがたの希望について説明を求める人には、誰にでも、いつでも弁明できる用意をしておきなさい。」(1ペテロ3:15)


 そのためには聖書知識を蓄えることも必要ですが、知識だけではなく、聖書的な価値観、考え方、生き方を身に着けることです。クリスチャンとしての存在、生き方が、そのまま弁明となれば素晴らしいです。


 また、ただ理屈で相手をねじ伏せても意味はありません。何よりも愛をもって弁明するのです。 


「あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていてもーーー愛がないなら私は無に等しいのです。」(1コリント13:2)


 求める者に対して、誰にでも、いつでも、愛をもって弁明できるように準備しておきたいものです。


天の父なる神さま

 私たちに弁明できるだけの知識をお与えください。また私自身の存在と生き方がイエスさまの存在を弁明できるようになりますように。どうぞ聖霊に満たして整えてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

                                文:関真士


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『カイサリアでの捕囚』


 主がパウロに語りかけた。11節「その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしの事を証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。


 パウロは色々な人の反対を押し切ってエルサレムにやって来たものの、やはり預言されていた通りに捕えられて、周りは敵ばかり、四面楚歌となりながらも大胆に主イエスの証し人として、堂々と民衆や最高法院の人々の前で主を語った。しかし内面は、いくばくかの不安と恐れもあった事だと思う。どのような人でも、主に従う道を歩んでいると信じていても、まわり全ての反対を受けて平然としていることは不可能だと思います。私たちは肉を持った弱い人間だからです。勇気を出して闘った昼間ではなく、夜の静まりの中で、果たしてこれで良かったのだろうかと思い起こしている、そのような闇の中で主イエスがパウロのそばに立って励まして下さったのです。パウロはどんなに感謝して、さらに主イエスの証しをする勇気を頂いた事でしょう。主のことばは実現することば、関先生も話されておられましたがヘブル語では、過去完了形で、すでに起こることが示されている、それを知ってパウロは必ずや自分がローマに行く事になるとこの時に希望を持って確信した事だと思います。


 パウロが、彼の命を狙うユダヤ人の徒党から、ローマ兵に守られてカイサリアに向かいます。カイサリアに、去年のイスラエルツアーの時に行って来ました。地中海を望むテルアビブの町からさらに海沿いに1時間半ほどバスで北上した遺跡でしたから、きっと昔のエルサレムからであれば歩いて2日間ほどかかる距離ではなかったかと想像します。 この海岸沿いの町、カイサリアはローマ軍の駐屯地で、ローマ総督の官邸やヘロデの官邸もありました。 ヘロデ王は建築好きで、水をモチーフとした建物を好んだようです。彼の官邸には、プールがあって現代風のプールのように、入ると海との隔たりが無いように設計されていました。そうしてローマ風屋外コロシアム劇場の舞台には、水が引けるように設計されて、舞台に舟を浮かべたりしていたそうです。ここには、恐らくパウロが幽閉されていたであろう場所もありましたね。さあ、いよいよ主のみことば通りに、パウロはローマに囚人として送られるようになってゆきますが、考えてみると、自らの旅行費用を負担する事無しに、ローマ帝国払い、護衛付きで行くことになるわけです。ローマ市民であるために、それなりの扱いは受けていた事でしょう。


 勇気を出しなさい、ローマでも主イエスの証しをしなければならない。このようにしてローマでは、ローマだけでなく獄中書簡を書き上げて、世界に主イエスの証しをすることになってゆくパウロを、ここに見ます。


祈り

主イエスよ、私たちも勇気を持って主イエスの証し人となれますように導き下さい。未だ主を信じておりません家族、友人達 どうか祈りと主イエスの紹介をする良い機会が与えられますように アーメン

文: 森 宗孝


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『苦しみのエルサレムは栄光への道』

 

 前章では、カイサリアに滞在中に預言者から、エルサレムに行けば、あなたは縛られて大変な目に会うから、上って行かないようにと忠告を受けたパウロですが、その通りにローマ軍の千人隊長に捕えられて縛られました。その群衆に向かっての演説、パウロの証しであり、イエス・キリストの大胆な紹介がこの22章です。


 パウロの証しは、自分は生粋のユダヤ人で、その中でも特に優秀な、日本で言えば東大出身のしかも最高の教授、ガマリエル師に学んだユダヤ教のラビになり、やがては70人の長老からなる最高法院、サンヘドリンとなる者としての道を進んでいた者だった自分が、神の御子、主イエスとの出会い、命の光である主からの啓示を説明します。21節「すると主は私に『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。


 パウロはエルサレムで主イエスが受けた迫害を自分の身にも受けます。正直な所、この同時期に、主から教えを受けた肝心の12使徒たちや長老たち、教会の人々は何をしていたのかなぁと思ってしまいます。主イエスを信じたものの、ユダヤ人達からの迫害を恐れて、ひっそりと祈っていたのでしょうか。24節抜粋 パウロに、エルサレム教会の中心となっているヤコブや長老たちが話しているのですが「あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、皆にわかるでしょう。」となんとなく、エルサレム教会はユダヤ教との間を取るような、いわば日和見的な言い方をしています。大勢の群衆がパウロに対して怒り狂っている前に出ていって、パウロを弁護する12使徒は誰もいなかったようです。


 話は全く変わりますが、妻の亡くなったお母さんは、よくDVDを借りてきては「水戸黄門」を四六時中観ていました。ストーリーはいつも一緒で、最後に水戸黄門が印籠を出して来て、徳川家康の葵の家紋を見せて、これが見えないのか!と言って成敗する。どうやら今でもこの時代劇は一番人気だそうです。


 パウロも群衆の迫害とローマ軍に囚われの身となりながら、この家紋のように、切り札の、私はローマ市民である、これが見えないのかと言うように、宣言しました。パウロはタルソで生まれたユダヤ人ですが、両親がよほどの功績があったのかローマの市民権を生まれながら与えられていたのです。この事によって、パウロが、今まで何度も伝道旅行をしながら、本当に心から望んでいた、その時代の世界の首都であるローマへの異邦人伝道が始まることになったのです。しかもローマ軍が護衛しながら、ローマ帝国の費用で捕囚の身として連れて行かれる。 確かに自由の身ではありませんでした、囚人の身として行くのですが、主の不思議な導きがここに現れています。まさに苦しみのエルサレムは、栄光への道へとつながっていたのです。


祈り

主の不思議な導き、ご計画が全て背後でなされている事に感謝致します。主の御手が伸ばされている事を信じて、患難な時をも乗り越えられる勇気をお与えください。アーメン  

文: 森 宗孝


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