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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『エフライム人たちの高慢』 


 アンモン人たちとの戦いに勝利した士師エフタのところに、エフライム人たちが集まって来ました。彼らは自分たちを戦いに召集しなかったことに怒り、家もろとも火で焼き払ってやると宣戦を布告しました。その態度にエフタは、ギルアデの人々を招集して応戦、彼らを討ち破ります。しかしこの戦いによって得たものは何もなく、四万二千人ものエフライム人を犠牲にしただけでした。


 エフライム人たちは以前、ギデオンがミディアン人に勝利した時も、同じ態度を取っていました。しかしその時は、ギデオンの賢明によって事なきを終えています(士師8:1‐3)。しかし今回は違いました。エフタはギデオンとは違い、事実とは異なる言いがかりをつけて来るエフライム人たちに対して、毅然とした態度で反論しました。しかし「エフライムからの逃亡者」呼ばわりされたギルアデ人たちは、その怒りをエスカレートさせて行きました。


 エフライム人たちがなぜ、ギデオンやエフタに対して高慢な態度を取ったのかについて調べてみたところ、ギデオンもエフタもマナセ族であることが分かりました。しかも彼らは、ヨルダン川東岸の土地を領土とするマナセの半部族に属していました(聖書地図4参照)。子孫に恵まれ、大きくなったエフライムにとって、東側に住む小さなマナセの半部族については無関心だったかもしれません。しかしそのような者たちが、強敵ミディアンを討ち、宿敵アンモン人に勝利したと知った彼らは怒りました。東側に住むエフタたちが、西側に住む同胞のために命をかけて戦ったというのに、エフライム人たちは共に喜ぶどころか、殺そうとしたのです。


 エフライム人たちの姿から、高慢な人は同胞の成功を喜べないことが分かります。自分のほうが優れていると思い上がって他者を見下し、相手が成功しても、喜ぶより先に怒りの感情が沸き上がって来ます。そして怒りは妬みを生み、嫌がらせをしたりして、相手を滅ぼそうとします。


 聖書には、高慢な人は神を求めない、と書いています。「神はいない」という思いがすべてだからです(詩篇10:4)。そのため主はそれを憎むと言われました(箴言8:13)。高慢にならないためには謙遜を学ぶ必要があります。すべては、主の恵みであるという信仰に立ち続けるなら、高慢な心が入る余地はなくなります。主の恵みの中で生きるなら、謙遜は自ずと身に付き、さらに妬みの感情もなくなります。



「主は あわれみ深く なさけ深い。

怒るのに遅く 恵み豊かである。

主は いつまでも争ってはおられない。とこしえに 怒ってはおられない。

私たちの罪にしたがって 私たちを扱うことをせず

私たちの咎にしたがって 私たちに報いをされることもない。

天が地上はるかに高いように 御恵みは 主を恐れる者の上に大きい。

東が西から遠く離れているように 主は 私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。

父がその子をあわれむように 主は ご自分を恐れる者をあわれまれる。

主は 私たちの成り立ちを知り 私たちが土のちりにすぎないことを 心に留めてくださる。」

(詩編103:8‐14)



 エフライム人たちやエフタから、高慢と妬み、そして怒りについて学びました。しかしそのような私たちを主は、あわれんで赦してくださり、そしてなおも、恵みの中で生きよと言ってくださることに感謝いたします。


 

祈り:愛する天のお父さま。主の恵みの中で生きることの大切さを学びました。真の謙遜を身につけるため、これからもどうぞ導いてください。お願いします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:アイゾン直子


参照:King’s Comment, Got Questions, e-Swod



 11章は第八番目の士師であるギルアデ人エフタの登場である。彼は、遊女の子であったためにギルアデの正妻と子供たちから追放されて、ならず者たちのところに出入りしていた。エフタの波乱万丈の生き方がスタートする。そのなかで一番心に示されたのは、彼が神に聞き従うことなく愚かな誓願をしたために愛するひとり子(娘」が犠牲になっていくところと、又、娘の純真で従順な心で愛する父が神に立てた誓願に従っていくところである。


 ギルアデ人の長老たちはエフタを連れ戻しにきた。彼にアンモン人と戦って自分達のかしらになってほしいことを述べた。エフタは、主がアンモン人を自分に渡してくださったなら、あなたがたのかしらになろうと言ったのである。それに対して、長老たちは、主が自分たちの証人となられる。そして、必ずあなたの言われるとおりにすると言ったのである。そして、エフタは長老たちと一緒に行き、彼は民のかしらとなった。エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで主の前に告げたのである。


 エフタはアンモン人の王に平和と神のさばきのことばを送ったが、彼は聞き入れなかった。そのとき、主の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経てアンモン人のところへ進んで行った。そこで、エフタは手柄を立てることに心が先んじてしまったのか、主に聞き従うことをしないで、主に誓願を立てて言ったのである。


 エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、」30節

「私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として捧げます。」31節


 この時点でエフテは神を試そうとしたのである。「もし~してくださるなら~します」という言葉は、神を信用してないことにもつながるのである。そのような誓願を立てなくても神が共におられるなら、勝利は確実なものになるのである。私たちにもそのようなことは起こりうることではないだろうか。もし目の前に大きな困難に直面した時に、私たちが、神にどういうふうにして祈るのかが問われるところである。


 エフタはアンモン人と戦って、主によって勝利を得て自分の家に帰った。だが、残念なことに、たった一人の子である愛する娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら彼を迎えに出て来たのである。彼女の純真な父の勝利を心から喜んで踊りながら迎えに来た娘を見て、エフタは自分の愚かさを悟ったことでしょう。神への誓願の怖さを知る思いである。


 そして、娘の純真な父を愛することばに心が触れられた。

「お父様、あなたは主に対して口を開かれたのです。口にだされたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アンモン人に復讐なさったのですから。」36節(抜粋)



 愛する天の父なる神さま。神を試そうとする誓願がどんなに怖い者であるかを示された思いです。いつも主に聞き従っていける信仰の道を歩むことができますように導いてください。道からそれることは多々あります。そのようなときは、正しい道を歩む者としてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


『神さまへの真の悔い改め』


 10章では、イスラエルの子らが神さまに対して背き、異教の神々に従ったことが語られています。偶像礼拝の結果、神さまの怒りに触れ、神さまは彼らをペリシテ人、アンモン人の圧迫の下に置かれるようになります。


7節「主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に売り渡された。」


 イスラエルの人々は十八年の間虐げられ、大変な苦境に立たされるという苦しみの中で悔い改め、神さまに助けを求めます。


10節「そのとき、イスラエルの子らは主に叫んだ。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」」


 神さまに叫んで救いを求めましたが、神さまは「これ以上あなたがたを救わない。あなたがたが選んだ神々に叫べ。彼らが救ってくれるだろう。」(13-14節抜粋)と応えられるのです。


 そしてイスラエルの子らが繰り返し自分たちの罪を認めて心から悔い改めるのです。


15節「イスラエルの子らは主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたが良いと思われるようになんでも私たちにしてください。ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。」」


すると神さまは彼らに対して憐れみの心を示し、彼らを救います。


 悔い改めとは、ただ罪を認めるだけでなく、その罪から離れて神さまの道に戻ることの大切さを学ばせてもらいました。神さまは私たちを愛してやまないお方であり、決して見捨てることなく、私たちの叫び呼び求めに応えてくださいます。



愛する天のお父さま

 しばしばあなたの道を離れてしまうことがある私を決して見捨てず、悔い改めを受け入れてくださること心から感謝します。今日も御前に罪を告白します。どうかあなたの道に戻り、あなたの御心を行うことができるように導いてください。

イエスキリストのお名前によってお祈りします。 アーメン



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