信仰と聖霊に満ちたステパノは、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。最高法院に引かれて行ったときにかれの顔は御使いの顔のように見えたと、6章では述べられていた。そして、7章ではステパノは使徒の働きの中で最も長い説教を語るのである。
ステパノの説教は、彼自身が死を覚悟で語ったものだったと思わされました。
彼はアブラハムの時から始まり彼の時代に至るまでのユダヤ人の歴史をたどりながら、神に対するユダヤ人の反逆、神殿礼拝の問題に触れたのである。結論として、彼らは聖霊に逆らっている、イエスを殺した、律法に背いている、と述べたのである。これらのことを聞いた人々は、はらわたが煮え返る思いで、歯ぎしりしていた。そして、ステパノに向かって殺到して、彼をめがけて石をなげつけ殺したのである。その時にステパノが主を呼んで言った言葉が十字架上で言われたイエス様の言葉と重なってくるようでした。
「主イエスよ、私の霊をお受けください。」―59節(抜粋)―
「そして、ひざまずいて大声で叫んだ。『主よ、この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、彼は眠りについた。」―60節―
ステパノは、実に立派な使徒としての殉教の終わりを遂げた。ちなみに彼は、使徒の中で初めての殉教者だと言われています。
58節を読んでいて気になったことは、人々がじぶんたちの上着をサウロという青年の足もとに置いた、というところだ。このサウロはのちのパウロのことで、ここにいたステパノの殉教をみてどのような気持ちだったのでしょうか。主なる神は、きっとそのころからパウロを用いられるようにご計画なさっておられたのではなかったのかと思わされるところです。
天の父なる神さま。今日の御言葉を感謝します。ステパノの使徒としての働き、聖霊によって何をも恐れずに行動にでたことは、私たちクリスチャンにとっても大いに学ばされることだと思いました。今でも、イエス様のことを語る時に必ず迫害があります。私達は、聖霊をおむかえしなければ何もできません。どうぞ、私たち自身が、聖霊によって強くされて、用いていただけますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン