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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 3番目の士師であるエフデが死んだら、イスラエルの子らは再び主の目に悪であることを重ねて行った。主は、再び彼らをカナンの王ヤビンに売り渡されたのである。二十年の間、その支配下に置かれたのである。すると、イスラエルの子らは例のごとく主に叫び求めたのである。主は、四番目の士師(救助者)を遣わされたのである。主の愛と忍耐は永遠に尽きないものであることがつたわってきます。


 第四の士師は、二人の女性であった。一人は、女預言者デボラで、もう一人はナフタリ族の勇士であるバラクである。聖書のなかで女性が重要な役割で遣わされるのはこの章がはじめてではないかと思います。なぜなら当時の女性の地位は非常に低く、弱かったと言われていたからです。しかし、主は弱いものをあえて用いられたのである。


 主が彼らと共におられたので、二人の女性の士師たちは敵を打ち破ったのである。ヤビンの軍の長であるシセラ将軍は特に強く、戦車を九百両も所有していたのできっと自信満々だったと思う。現実的にみていると決して勝ち目はなかったと思います。だが、そのようなものは、主の前では何の役にもたたないということです。二人の勇敢な女性の士師たちが勝利を手にすることができたのは、敵を恐れず、主が共におられるという強い確信を持つことができたためであったのです。


 さらに、この章で女性が活躍したのはもう一人いたのである。逃げ延びたシセラ将軍を打ち取ったのはヤエルという女性だったのである。強い将軍と言われていた人がいともたやすく弱い女性の手によって打たれたのである。すべては、主が共におられたからである。



 愛する天の父なる神さま。主は、弱い女性でもあなたのために用いられるということを知り感謝します。私たちは、弱いからもっともっとあなたの存在に触れるようになりたいです。なぜなら、「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」の御言葉を信じていますから。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 主は、イスラエルの民を試みるために、異邦の民を残しておかれた。主の目的は、イスラエルの次世代の者、特にまだ戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためであった。


 イスラエルの民は先住民族を追い払わなかったために、彼らと結婚し、主の目に悪であることを行い、彼らの神、主を忘れて、異教の神に仕えたのである。ヨシュア記24:24「私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います。」と民がヨシュアに誓ったことを忘れてしまったのである。

 

 そして、いよいよさばきつかさ、救助者の登場である。3人の救助者の働きが記されている。その3人の救助者とは、カレブの同族ケナズの子オテニエル、ベニヤミン族ゲラの子エフデ、アナトの子シャムガルである。


 イスラエルの民が主を忘れて悪をおこなった時は、彼らを苦しみの中においやられるが、しかし、彼らが主に叫ぶと救助者を遣わされるのである。彼らの叫びは自分達の罪の赦しの声で、主はそのことを待っておられたのです。主は、彼らに真の神がだれであるかを学ばせるための主のご計画だったのである。


 関牧師がメッセージで語られた、「十字架のイエスさまも天の父なる神に「どうして」と叫ばれたように、私たちも主に叫んでいいんです。」と語られたことが、内容的には違うかもしれないが、このイスラエルの民が主に叫ぶ光景と重なってくる思いがした。


  

 愛する天の父なる神さま。何度も罪をおかす度にイスラエルの民の叫びを聞かれ、助け人を遣わして赦してくださるあなたの深い愛に触れることができて感謝します。私たちも、主に叫び、主に委ねていけるような信仰生活をおくることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 いよいよ主に逆らい、主からの厳しい試練をもたらせられるイスラエルの民のことが述べられている。一番、心に留まったのが6節から15節である。ここに述べられていることは、主を知らない次世代が次々と起こす神への背きである。


 彼らはヨシュアが生きていた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、主に仕えました。ところが、主のしもべヨシュアが死ぬと、10節にあるように、「彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない」別の世代が起こりました。


 つまりヨシュアが生きていたときは、みな主に仕えましたが、ヨシュアが死ぬと、そこには「主を知らず、主のわざも知らない」世代が起こったのです。この「知る」ということは、出エジプトや、荒野での奇跡、ヨルダン渡河、さらにはエリコやアイといった町々を攻略した神の奇跡を体験したということ、つまり、彼らをエジプトから救ってくださった神が今も生きて働いているということを信じる信仰を持っているということです。


 なぜ彼らは主を知らず、主のわざも知らなかったのでしょうか。それはイスラエルの民がその子孫に信仰教育と歴史教育をきちんと行わなかったからです。後継者を育て上げることはとても大切なことである。親子間、仕事場での上司と部下の間、そして、教会生活での熟練クリスチャンと新米クリスチャンの間での後継者育成にも言えることである。私たちクリスチャンがお手本にするのは、イエスさまである。たとえ私たちの信仰教育が揺るがされて、道からはずれても、主に悔い改める心を向けたら、もとの正しく歩む道へと導いてくださるので感謝である。



 愛する天の父なる神さま。私たちの救い主であられるイエスさまのおかげで、イエスさまをいつもお手本にすることができることを心から感謝します。どんなに挫折しても、イエスさまがおられること、又、お手本にできる師がいることを忘れずに歩むことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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