『主の闘い』
南王国の善王ヒゼキヤが即位したのが紀元前721年、その約7年後にはアッシリア帝国によって北イスラエル王国の首都、サマリヤは陥落し、南王国にまでアッシリアの脅威は迫ってきていた。アッシリアにセンナケリブ王が即位してから、紀元前701年頃に、南王国エルサレムも勢いにのったアッシリア軍18万5千人によって包囲されてしまう。
このように北王国が滅びるのを見ることになった、若きヒゼキア王は、アッシリアの脅威に備えて、現在も健存する、500メートル以上のヒゼキアトンネルをエルサレムの水源を確保するために掘っておいて、戦いに備えていた。しかし、アッシリア帝国は大軍をもって、エルサレム近郊の都市を次々に攻め落としていった。そうしてユダの国民に対して、アッシリアは「おまえの神にだまされてはいけない。アッシリア王が他の国々を征服して、絶滅させたことを聞いていないのか」とユダヤ民族の神、私たちの神であるヤーウェイを侮辱したのです。
ここを読みながら、何故かダビデがペリシテ人の代表戦士ゴリヤテと戦う場面を思い起こした。このゴリヤテもユダヤの神を嘲笑して、結果として羊飼いダビデの石投げ、主の力によって打たれて、首をはねられた。話はダビデに変わりますが、現在、このダビデの物語が演劇ミュージカルとなり、その映画も封切りされますが、素晴らしいミュージカルです。劇場舞台に生きた羊の群れが出演したり、獅子が羊飼いダビデに襲いかかるシーンなどは、本物のように驚きます。 このゴリヤテも巨人として登場、ダビデに打たれて倒れる様子は、あまりにも舞台装置が見事なので、驚きの連続です。 ぜひ機会があればダビデのミュージカルをご覧になって下さい。
さて、本題に戻り、聖なる主はアッシリア王を退け、彼はこの都に侵入しない。わたしはこの都を守って、これを救うと宣言されて、その通りに主の使いがアッシリア軍18万5千人を打ち殺しました。
ここは何を意味しているのか。歴史は繰り返す、まさにヨハネの黙示録16章には、イスラエルに攻め込む軍隊がハルマゲドンの闘いと呼ばれるイズラエル平原で、再臨された主イエスに打たれる場面が出てきます。主はアッシリア軍からイスラエルを守っただけでなく、やがて再臨される主イエスは、この次には、心優しい子羊としてではなく、裁きの主としておいでになられる、そして悔い改めをしたイスラエルを守るという、その予表、預言的出来事をこの章では記されているのではないでしょうか。現在のイスラエル・ハマス戦争を見る限り、エルサレムに大軍が送られて行く事が現実味をましてきています。主の再臨が身近に迫ってきている、ユダヤ人の悔い改めと主イエスを信じるという預言されたことこそ起こってはいませんが、そのような緊迫感が漂う世界情勢ではありませんか。
祈り
主イエスの再臨を信じます。そうして私達には再臨の主の僕として、主のための戦いのために召されていること、主と共にいるために、永遠の身体が約束されていることに、心から感謝しております。
主の栄光のための戦いの準備期間として、今の世でも主の兵士として仕えることができますように。アーメン
文: 森 宗孝