top of page
Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

【お知らせとお願い】
​ メールアドレスを登録して頂ければ、
 新規ブログ更新毎にお知らせメールが届きます。​
 この機会に、是非、ご登録をお願い致します。​

ご登録ありがとうございました

 *登録の手順) アドレス入力 → 「>」を押下
hccnichigo

『敵に塩を送る』


 日本にも敵の弱みにつけ込まないで、その逆境から救うということわざがあります。宿敵であった山国の武田信玄の領民が周りから塩止めという戦略で、苦境に立たされている事を知った上杉信玄が塩を送ったことからのことわざという。人間の身体の構造で、自分自身では造り出せない成分で、しかも生きるのに不可欠なのは塩だそうです。塩分が欠けると命に関わるのです。

 

 ローマに行く昔の道に塩の道というのがあって、その昔、中東で採れた塩の塊を運んで、兵士の給料として渡していた時代もあったそうです。主イエスも山上の垂訓の後に、あなたがたは地の塩ですとおっしゃてます。話が飛びましたが、この6章にはイスラエル王が、アラム王が送った大軍の兵士を私が撃ち殺しましょうかと預言者エリシャに尋ねたところ(21節)、エリシャは、彼らにパンと水を与え、食べたり飲んだりさせて主君のもとに行かせなさい。と命じ盛大なもてなしを敵の軍隊にしてあげたので、その後アラムの略奪隊は二度とイスラエルの地に侵入しなかった。とあります。まさに敵に塩を送る事が、ここでもあったのですね。聖書ではローマ書12章20節に、敵を食べさせ、飲ませよ、なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。敵に塩ではなく、頭上に炭火という変わった表現をしています。


 この章には、他にも当時の悲惨な飢餓が襲った状況も描かれています。思えば国連がイスラエルに土地を与える決議をして、今のイスラエル国家があるわけですが、その土地を決めるに当たって、当時は多くが、全く不毛の地であった場所、先住民が役に立たない土地を与えたと言います。 それをユダヤ人が干拓事業や治水によって農業地に変えたわけですが、そのような昔から、不毛な地であった場所に飢饉が起こると、飢餓の具合が極端で、生きるためには何でもするという状況を見る章でもあります。子供を食べるほどの飢えに襲われていたサマリア地区でした。イスラエル王は、この飢餓の原因は、預言者エリシャのせいだと思ったのでしょうか、エリシャの首をはねようと人を送りますが、エリシャは主に守られています。


祈り

敵に塩を送る、まさにそれが今のイスラエルに求められている事かもしれません。ガザで家族を失った強い恨みは、将来にわたっての死を決しての報復となって戻ってくるのではないでしょうか。しかし逆に自分の家族が人質に取られていたとしたら、何が何でも、救い出そうとする事も事実です。どうか解決の道のない、私たちの力ではなく、主による導きがありますように。 アーメン 

文:森 宗孝


hccnichigo

『ナアマン将軍の癒し』


 イスラエルの敵、アラム軍の将軍ナアマンが皮膚病ツァラアトにかかり、それを預言者エリシャの進言でヨルダン川で身を洗って癒されるという出来事ですが、この中に、何人か名前も出てこない舞台裏で活躍する者達がいる。はじめに、アラム人ナアマン将軍の妻に仕えるイスラエル人の若い娘、彼女の提案でナアマンはエリシャに会いに出かけるきっかけとなった。次にナアマンに仕えるしもべたち、エリシャから「ヨルダン川で身を洗え」と言われて、馬鹿にされたと思ったナアマンを宥めて、ヨルダン川に連れて行った者達、彼らのナアマン将軍を思いやる言葉に注目したい。


13節抜粋「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は「身を洗ってきよくなりなさい」と言っただけではありませんか。」まさに、主イエス信仰に対する人の心理を良く表しているように思える部分です。


 神の人エリシャの言葉は、神の子イエスのことばにつながっている。わたしについて来なさい、わたしを信じなさい、そうすれば永遠の命が得られます。私たちが清められる、聖なる者とされる条件が難しい事であれば、人はなんとかそれをしようと努力する事でしょう、しかし簡単すぎるほど簡単であれば、かえって信じることができないのが人間の性(サガ)のように思うのです。


 もう一人は神の人エリシャに仕える若者ゲハジ、この前の章にも登場していますが、彼は主イエスに仕えた、イスカリオーテのユダを思い起こさせます。彼にとっては、ナアマン将軍が持ってきた謝礼、お金の方に魅力を感じたのです。偽ってナアマンから銀二タラントと晴れ着2着を、エリシャが必要になったと言って騙し取ったのです。主イエスを裏切ったように、ゲハジもエリシャを裏切りました、そうして結果として、今度は彼自身がツァラアトに冒される羽目になってしまいます。


祈り

主よ、救いの道はただただ、主イエスを信じるだけの道です。滝に打たれ、断食や難行する事ではありませんが、簡単なだけに多くの人には受け入れられません。どうか信じることの一歩である、すべての人の心のドアが開けられますように。

アーメン  

文: 森 宗孝


hccnichigo

『預言者エリシャの六つの奇跡』


 エリシャの起こした六つの奇跡を読んでいると新約時代のイエス様が起こされた数々の奇跡が思い出されます。


 1~7節は、夫を亡くした預言者の仲間の貧しい妻が、生活の助けを求めるためにエリシャのところに来た。家にあるのはつぼに入った油だけだった。エリシャは、その妻に空の器を集めて来なさいといった。集められた空の器はすべて油でみたされて、もっと器を持って来なさいと子供たちに言ったら、彼らは「もう器はありません。」と言うと、油は止まった。その油を売って生計を立てて、子供たちも奴隷に売られなくてすんだ。


 8~37節は、心優しいシュネムの女の妊娠、男の子の出産、その子の死、そして、その子のよみがえりが述べられている。この奇跡は、あの創世記の中の年老いたアブラハムと不妊のサラのことが思い出されます。


 38~41節、エリシャがギルガルに戻ってくると、その地に飢饉が起こった。預言者の仲間たちのために炊かれた瓜の煮物は毒性のものだったので食べることができなかった。そこでエリシャに持って来させた麦粉を大きな窯に投げ入れたら悪い物はなくなっていた。


 42節~44節、一人の男が持ってきた大麦のパン20個と、新穀一袋で100人の給食をまかなうことが記されている。しかも、主のことばのとおり、彼らは食べて残した。この奇跡は、イエス様の2匹の魚と5つのパンで5000人に食べ物を与え、しかもかごにはまだ残りものがあったことが回想させられます。


 エリシャの起こした数々の奇跡を通して語られたことは、主なる神は、私たちが必要とするものは必ず満たしてくださるおかたであるということです。




 天の父なる神さま。祈る時には、祈ったことはすでに成就したと信じて、お委ねしていくことができますように導いてください。そして、私たちがあなたからいただいた恵みを他者にも分け与えていくことができるような信仰の持ち主となっていけますように助けてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


bottom of page