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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『生きている主イエス』


 先週、牧師先生が話して下さった内容は、へブル所12章:1抜粋、「一切の主にとまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」であった。


 まだイエス様を知らなかった頃、今後人生がどうなってしまうのか不安で押しつぶされそうだった時、ある女性に占ってもらったことがある。私からは一切話さないで彼女に話してもらおうと決めていた。私は何も言っていないのに、考えていることを読まれ、「なぜxxだと思うの?」と聞かれ、この人は本当にサイキックなのだと感心した。そして一時的な希望が与えられた。かなり昔のことである。


 これと同じように、第二列王記時代のイスラエルは本物の神に仕えていなかった。ヨラム王は父母が作ったバアルの石の柱は取り除いたものの心の中では、まだバアル信仰が続いていたようだ。心の中を重要視する神様である。

 その頃、軍隊には預言者が同行するのが一般的だったという。エリヤに仕えたエリシャが当時の預言者だった。


  14節抜粋、「エリシャは言った。私が仕えている万軍の主は生きておられます。」 この生きておられる主に出会った感動は今でも私は覚えている。ハワイでも涼しくいやむしろ寒い頃、友人宅で何かあたたかいものが私を包み、嬉しくて、涙がぼろぼろながれ止めることができなかった。イエス、この方が本物の神様だと確信した瞬間だった。この感動を一人でも多くの人に体験してほしい。今は心からそう願っている。


 だが、キリスト者となった今でも、この世に生きている限り罪や重荷がまとわりつくのである。それでも神様は私のすべてを知っていて下さる。そして私の罪を何度もゆるし、荷下ろしさせてくれる。私が知らなくても、神様は次に進むべき道を知っている。だから信頼して、一日ずつ導いてもらおうではありませんか。


 私の周りにはまだイエス様を知らない人たちがいる。悲しみがイエス様と出会うことで安らぐことをまだ知らない。のしかかる重荷が軽くなることをまだ知らない。


天の父なる神様、

 現在 重荷をかかえている人、身体に痛みや不安を覚えていらっしゃる人々に御子イエスの存在を知らせてあげて下さい。偶像ではない本物の生きている神の存在を 私に教えてくれたように、わかる形で知らせてあげて下さい。この弱きものをあなたの栄光のためにお使い下さい。あなたの癒しに感謝して、主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン


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 列王記第二2章の中では、前半で、エリシャがエリヤの後継者として霊的賜物を受け継いだことを語り、後半では、二つの奇跡をなしたエリシャがエリヤの真の後継者であることを記しています。これは列王記第一19章16節で主がエリヤに告げられたこと、「。。。エリシャに油を注いであなたに代わる預言者とせよ。」が現実となったことを語っています。


 自分が天に上げられる時を知ったエリヤは、エリシャを連れてギルガル、ベテル、エリコの三か所へ行きました。そのそれぞれの場所で、「わたしと一緒に来なくてよいから、ここにとどまっていなさい」と三度告げます。しかしエリシャはしつこくエリヤから離れようとはしませんでした。これはエリヤの拒絶ではなく、エリヤの霊を受けてその後継者になるエリシャは、真実にふさわしい強い信仰を持っているのかどうかと言うテストでした。復活のイエスがペテロに三度「わたしを愛しているか」と問われたことと似ています。(ヨハネ21章)


 エリシャは、長子が弟たちと較べて父親から二倍の財産を分け与えらるように、エリヤから主の霊をいかにしてでも受け継ぎたいと厚かましいほどに願いました。エリシャは、主の霊に動かされているエリヤからその祝福を受けることは、主から直接霊を受けることを意味するものだと深く信じていたようです。この霊を受け継ぐことなしには、エリシャはエリヤのように、主のためには働くことはできないと信じて、どんなことがあっても、エリヤから離れられないと心に決めたのです。


 そしてついに、エリヤは主が起こされたたつまきに乗せられて、天に上げられました。たつまきは、風と同じく、強い主の霊を表すもので、エリヤは主の霊によって天に取り去られました。その時エリヤの霊はエリシャの上に下りました。


 エリヤの霊がエリシャに受け継がれたことは、このすぐ後でエリシャの行った二つの奇跡から、その事実が明らかにされました。一つは、エリヤが天に上る前に、ヨルダン川を二分した奇跡と全く同じことをエリシャは人々の前で行ったこと。二つ目は、水が悪く流産の多いエリコの町で、その町の水を癒し、流産を後々までもなくしたことです。


 エリシャは、エリヤが「火の戦車」の乗ってたつまきの中を天に昇って行くのを見ましたが、この戦車は、エリヤとエリシャの言葉と業が、敵から国を守る戦車以上の力と働きを示すものだったそうです。神は私たちにも「火の戦車」以上に力ある万能の主イエス様を与えて下さったことを感謝します。


 愛する天のお父様、今日のみ言葉を感謝します。私たちもエリシャのごとく、厚かましいと思われるくらい、主の霊を慕い求め続ける信者としていてくださることを切にお願い申し上げます。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。


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 列王記第二の1章では、アハブ王の子アハズヤが偶像の神、バアル・ゼブブに伺いを立てようとしたために起こった、短い生涯の出来事が語られています。


 この1章で心にとまったところは、アハズヤ王が自分の病気のためにエリヤの所に3名の五十人隊長を遣わした時に言ったことだった。


 最初の隊長の言ったことは、9節(抜粋)、「神の人よ、王のお告げです。下りて来てください。」だった。それに対してのエリヤの答えは、10節(抜粋)、「私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から火が下って来て、彼とその部下五十人を焼き尽くした。


 2番目の隊長の言ったことは、11節(抜粋)、「神の人よ、王がこう言われます。急いで下りて来てください。」だった。エリヤの答えは、最初の隊長に言ったことと同じで、天から火が下って来て、彼とその部下五十人が焼き尽くされてしまった。


 3番目の隊長が言ったことは、最初の隊長と2番目の隊長とは違っていた。

13節(抜粋)、「エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。『神の人よ、どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちをお助けください。』」


 この3番目の隊長の言ったことが、主の目にとまって、「主の使いがエリヤに、『彼と一緒に下って行け。彼を恐れてはならない』と言ったので、エリヤは立って、彼と一緒に王のところ下って行き、主の告げたことばのとおり、王は死んだ。


 3番目の隊長のとった謙遜な行動こそ、私たちにも示されることではないでしょうか。すべてのことにおいて、誰にでも謙遜になることは、主が私たちに望むことだと思います。


「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げて下さいます。」―ヤコブの手紙4:10―


 


 愛する天の父なる神さま。今日の御言葉を感謝します。私には、謙遜になることにかけています。どうぞだれにでも謙遜になって、主の証し人となれますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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