『御霊の初穂』
今年のクリスマスイブ、この日に与えらたデボーションでローマ書の最高峰である、いつまでも輝きを示す8章が与えられた事に心から感謝しております。デボーションを随筆することへのプレゼントを頂きました。主の誕生と、御霊を与えられ、新しいいのちを頂いた私たちを祝う、この8章に感謝します。
はたして、なぜ神は私たちを救われ、復活の永遠の身体をいただけるのでしょうか。ただ単に私たちを愛しておられるからでしょうか。愛の他に何か、特別な目的をもって私たちを、救われるのでしょうか。
29節「神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。」ここに答えがあります。主イエスが長子となるのが最終目的で、そのために私たちが永遠の身体が与えられて、長子イエスに兄弟として、一緒に仕えることがゴールなのです。そのために、私たちの緋く染まった罪を、白くして、聖なる神が裁く必要がなくする必要がありますが、私たち自身の努力で、この罪を消すことはできません。
1節「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」
罪がある身でありながら、まるで主イエスのうしろに隠れるようにすれば、罪に定められることがないという大変な約束です。
主を信じても、未だ弱い存在の私たちに御霊を与えてくださり、助けてくださり、いまだに朽ちる身体にとらわれている身に、希望をくださったのです。しかし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。とも記されていることも忘れてはなりません。この与えられた御霊によって導かれる人はみな、神の子どもとなり、御霊の実である、愛、喜び、平安が主から与えられ根付き、隣人に対しては、寛容、親切、善意をもって接し、自分自身に対しては誠実さが増しゆきます。そして主イエスのような柔和な性格にかえられて、反対する肉の思いに対しては自制できる力が神の子として継承して実ってゆくのです。(ガラテア5:22〜23)
罪の性質は、腐敗(corruption)であり、分断(disruption)をもたらします、そして肉体に溜まった内なる腐敗は、神との関係を分断しながら、やがて爆発(eruption)して外に表されてゆくのです。しかし主イエスの霊である、御霊を受けますとまず、罪の原因となる神との分断がまず正されます。私たちが神を離れて罪の状態であったのですが、御霊がその分断した傷を癒し、生ける神の霊が、死んでしまっていた私たちの霊に代わって、神に至る道を開いて下さったのです。
ローマ8章11節「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者のの中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだもいかしてくださいます。」
もはや、石の板に書かれた律法ではなく、私たち一人一人の心に刻まれた神の律法によって、主イエスを兄とし、父なる神をお父さんとする神に似せられた子供として、三位一体の輪の中、最後まで残る愛の輪のなかに加えられてゆくという希望をこの8章は語っています。主はこの世に住む私たちの弱さを覚え主の御霊、聖霊を送って下さいました。それは19節「私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています。」という原罪にまみれた私たちを救うためでした。
祈り
主イエスは、ご自分の御霊をすべての者に与えられるために、この世に遣わされ、神の子羊として十字架にて、私たちの罪の贖いを完了し、聖霊として私たちを常に助けてくださる長男として、弟、妹に手を差し伸べる御霊の初穂としての存在となられたことに感謝いたします。 アーメン
文: 森 宗孝