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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『主の御告げがソロモンにあった。』


 8章ではソロモンの主への長い祈りが述べられていた。そして、9章では主からのその祈りの応答がソロモンにあった。


 主の応答とは4節、5節に述べられていることである。

 「もしあなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正直さをもってわたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことすべてをそのまま実行し、わたしの掟と定めを守るなら、わたしが、あなたの父ダビデに『あなたには、イスラエルの王座から人が絶たれることはない』と約束したとおり、あなたの王国の王座をイスラエルの上にとこしえに立たせよう。」と、厳しい条件を出されたのである。


 ここのところを読んで思わされたことは、その時のソロモンはすべてがうまくいっていて、まさに順風満帆な時だったので、主の厳しい条件を心底受け入れていなかったのではなかったかと言う事である。主の応答のいいところだけに心が浮かれてしまうのが私たち人間です。あとの厳しい条件には心ここにあらずでスルーしたのではなかったかとも思わされるところでした。祈りは聞かれるということはクリスチャンであるなら誰でも知っていることです。しかし、大胆に祈ってもその祈りがかなうときは、主の掟と定めを守っているかによって与えられるご褒美ではないでしょうか。主は、愛の人であると同時に私たちを厳しく訓練される方です。そのふるいにかかって残された者が勝ち得る褒美ではないでしょうか。私たちも主の訓練のふるいにかかって残れる者になれるように、常に主の御言葉、聖書に聞き従っていくことではないかということが示されました。


 そして、主は、もしその掟と定めを守らなかったらどうするかが6節から9節に述べられています。

 もしソロモンや彼の子孫が主の命令を守らず、ほかの神々に仕えるなら、この立派な宮も廃墟となり、さらに人々は、「彼らは、エジプトの地から自分たちの先祖を導き出した彼らの神、主を捨ててほかの神々に頼り、それを拝み、それに仕えた。そのため主はこのすべてのわざわいを彼らに下されたのだ」と言う。


「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」―マタイの福音書22:37―



 愛する天の父なる神さま。今日の御言葉を心から感謝します。祈りの応答の良いところだけに心をむけずに、厳しい応答を深く追求し受け入れることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


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 7章において、主の宮の工事の完了が告げられました。しかし、主の宮を建てることは、目的ではなく手段でした。本当に大切なのは、ここからです。

 主の宮を建てる目的は、契約の箱を安置するためなのです。契約の箱とは、神の臨在の証です。つまり神をこの宮の中にお迎えするという意味があります。

 どれだけ完全な主の宮を建てたとしても、そこに主がおられなければ、それはただの建物です。その建物が名実ともに「主の宮」になるためには、主がそこにおられなければなりません。


 主の宮の工事の完了を受けて、契約の箱を運び込む準備が整いました。8章では、いよいよ契約の箱を運び込みました。その時、次のように記されています。

「祭司たちは、その雲のために、立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。」(11)

 今ここに、神の栄光の臨在が満ちたのです。この光景をイメージしながら、「主の栄光宮に」という賛美が溢れてきます。


♪主の栄光宮に、主の平和うちに 主の喜びが満ち溢れる イエスの御名により罪清められ いま聖霊が心に住まわれる♪


 私たちは、宮です。教会も宮です。神の臨在を受け入れるための宮です。今は、聖霊なる神が私たちの内にお住まいくださり、聖霊が私たちを満たしていてくださいます。

 毎主日の礼拝において、「主の栄光が主の宮に満ちた」という出来事が起こりますように、栄光の雲で一杯になりますように。心から願います。


 天の父なる神さま

 私たちという宮を聖霊で満たしてくださり、主の宮としてください。その私たちが捧げる礼拝に、主の栄光が主の宮に満ちるという出来事を起こしてください。私たちは、主の栄光の臨在を心から慕い求めます。 

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

                               文:関真士


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『ソロモン宮殿』


 神殿の完成後に、ソロモンは13年をかけて自分の宮殿を完成させたとあるのが、この7章に描かれています。読んでもイメージがわかなかったので、見取り図をここに載せます。ソロモンの宮殿は3つの建物であったようです、レバノンの森の宮殿、自分が住む家と、政治結婚によって多くの妻、特にエジプトのファラオの娘用の後宮がソロモン神殿のそばに建てられました。


 この宮殿は、やがてバビロン王ネブカドネツァルの時代に、エルサレムは取り巻かれて、神殿も宮殿も、その主だった建物をことごとく火で焼かれたと列王記第二25章に記載されたいます。 興味深いのは、鋳物の海と呼ばれる約4メートル四方の、いわば風呂桶でどうやら清めの儀式用であった、青銅のこの海は、砕かれてバビロンに運ばれたとあります。


 このソロモンの宮殿を読みながら、なぜか日本の織田信長の安土城を思い起こしました。琵琶湖を見下ろす壮大で、豪華な城を見た宣教師ルイス・フロイスは、ヨーロッパにも無いと驚きを隠せなかったそうです。この安土城も完成後の本能寺の変で信長が亡くなった後に焼失してしまいます。どのような栄華を極めた人間の王が建てた物でも神の作品のように永遠に残ることは無いのですね。


Logos-ministries.orgより



 マタイ6章28〜30節「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装って下さるのなら、あなた方には、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」


祈り

 主よ、私たちの事をいつも見守っていてくださることに感謝します。私達はどうしても自分を誇るために、着飾ったり、車や家などの持ち物にこだわってしまいますが、確かに散歩をしていて、はっと思わされる花の美しさにかなうものは、自分は持っていないと思わされます。しかし、このような未熟な自分を愛してくださっている主に感謝致します。アーメン 

文: 森 宗孝


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