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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 アブサロムの反乱が実行することが語られています。何ということでしょうか。ダビデは、実の息子に命を狙われて、又もやサウル王から逃避したような生活を余儀なくされてしまったのです。それは、ダビデが主のことばを蔑み、主の目に悪であることをおこなったさばきだったのです。12章10節で、主がナタンをとおして語られたことが今ここに成就していくのである。

 

 「今や剣は、とこしえまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしを蔑み、ヒッタイト人ウリヤの妻を奪い取り、自分の妻にしたからだ。」


 アブサロムの反乱の時にダビデは、エルサレムを離れ、事実上王権を奪われた逃亡者として、まったく無抵抗のまま、無血で逃亡を始めることになる。ダビデは、息子アブサロムと争わずに、すべてを神の御手に委ねつつ、最善を尽くして神の時を待つ者となります。そこにダビデの信仰の姿が回復したのである。ダビデは主に委ねることを決して忘れなかったのです。逆境の中にいるときに私たちが求めるのはただ主だけです。


 多くのイスラエル人が離れていき、又、ユダヤ人からも見捨てられますが、それでもダビデは忠実な家臣に恵まれます。主の憐みがダビデの信仰の回復にあらわれたのではないでしょうか。


 ダビデがオリーブ山の坂を泣きながら登るところはとても胸が痛くなります。涙なしでは読めないところでもあります。ダビデがどんな気持ちでオリーブ山の坂を泣きながら登っていったのか。このダビデの行為は、深い悲しみと悔い改めを表現したものと言われています。この時のダビデの心境を歌ったのが、詩編3篇1~8です。

 

 ダビデの賛歌。ダビデがその子アブサロムから逃れたときに。

1主よ なんと私の敵が多くなり 私に向かい立つ者が多くいることでしょう。

2多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼には神の救いがない」と。

3しかし主よあなたこそ 私の周りを囲む盾 私の栄光 私の頭を上げる方。

4私は声をあげて主を呼び求める。すると主はその聖なる山から私に答えてくださる。

5私は身を横たえて眠りまた目を覚ます。主が私を支えてくださるから。

6私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも。

7主よ。立ち上がってください。私の神よ お救いください。

あなたは私のすべての敵の頬を打ち 悪しき者の歯を砕いてくださいます。

8救いは主にあります。

あなたの民に あなたの祝福がありますように。

                   セラ



 愛する天の父なる神さま。今日の御言葉を感謝します。苦難のなかにあっても私たちが見上げるのは、ただあなただけです。どうかあなたから目をそらすことがありませんように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 創世記に始まった兄弟喧嘩で、アダムとイブの息子二人; カインが弟アベルを殺すという人類初の殺人。第二サムエル記でも兄弟間での殺人が繰り返された。


 ダビデ王の長男、アムノンと異母兄弟のアブサロム、そして原因はアブサロムと同腹の妹タマルをアムノンが恋をし、力ずくで陵辱し捨てるという事件にあった。

誰でも自分の妹が力ずくで陵辱されたら激怒悲嘆し相手を憎むだろう。今も昔も変わらず似たような事件はこの世では起こっている。大変悲しいことだ。


 人間は感情の生き物だ。だからアブサロムが怒りのあまり妹のリベンジのためアムノン殺害を周到に実行したことがよくわかる。自分も感情のあまり、すぐ反応して精神的に痛い目にあったことが、何度もある。境界線を無視し、ずかずかと入ってくる人をゆるせない。大昔のホテルの仕事では、感情のあまり、物を言ってしまい、結局言い出しっぺが、やることになってしまい、前より長時間働くことになってしまった。そういうことが重なり、「考えよう、いう前に」といつも自分に言い聞かせていた。少しはましになりましたが、今までの習慣ともって生まれたこの性格は変わらず、たまに感情的になり大失敗を繰り返した。


 このように学ばない、神様に立ち返らない罪深い自分でも赦されるのでしょうか神様、と何度も尋ねた。頭に入ってくる言葉は「私の愛にとどまりなさい」である。たくさんのものを失くしても、現在の生活を守って頂いていることに感謝です。


ヨハネの福音書15章9節「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」


14章最後の節でアブサロムはダビデ王の家来ヨアブの仲介により父王との再会が赦された。長男を三男に殺されたダビデ王、殺したアブサロム。


33節「ヨアブは王のところに行き、王に告げた。王はアブサロムを呼び寄せた。アブサロムは王のところにきて、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした」この場面で涙が出てくる。親子の再会がかなってよかった。


祈り: 愛する天の父なる神様、

私とあなたの仲介者はイエス様、私の大罪のため血を流し痛みを受けて下さった。感謝でいっぱいです。イエス様、ごめんなさい。そして、ありがとうございます。これからも私が迷わないよう導いて下さい。イエス様のお名前によりお祈り致します。アーメン


          文: マッカーター政子


余談: 

アブサロムは非の打ち所がない美男子だった。一年に一度髪を切り、それまではロングヘアーだったらしい。切った髪は200シュケル(2kg弱)もあったとか。その長髪が命を落とす一因となる。続きは聖書をお読み下さい。



 この13章は罪と自制のない情欲が、その人自身だけでなく、家族の者、また周りの人たち、社会にまで及ぼす破壊的な結果を現しています。


 ダビデの息子アムノンは異母妹の美しいタマルに恋します。彼はその情欲に取りつかれます。そんなアムノンは悪賢いいとこのヨナダブにそそのかされて、仮病をつかって床に伏せ、ダビデを通して、タマルに彼のところに来て、甘いパンを作ってくれるよう願います。疑惑を全く持たないタマルはパンを焼いて、彼の寝室に持って行きます。そしてアムノンは周りのすべての人を去らせ、二人きりになった時、タマルに自分と寝るようにと言います。しかし「こんな愚かなことはしないでください。」と嘆願するタマルのことばを全く無視して、彼女を力づくで辱めてしまいました。


 しかしその後「アムノンはひどい憎しみにかられて、彼女をきらって」、彼の家から追い出しました。タマルにとって、なんと切ないことでしょう。処女の王女である印である袖付きの長服を裂いて、歩きながら泣きました。そして生涯、兄アビシャロムの家でひそかに暮らさなければならなかったようです。


 このことを知ったダビデは激しく怒りました。しかしそんなアムノンを叱責したり刑罰を与えたりはしませんでした。その理由はアムノンが自分の王権の第一後継者であるからなのか、自分自身がバテ・シェバに犯した自責の念からかも知れません。


 タマルの兄も、アムノンに対して最初は憎んではいたけど何も言いませんでした。しかし最終的には二年後彼は自分の若者たちの手でアムノンを殺させました。


 この章の中心テーマは、ダビデが犯した罪に対する神の報いが、ダビデの子らの罪を通して、ダビデの王位継承に対する危機を呼び起こしたということです。池に落とした小石の生じる波状のような、一つの罪がもたらす報いの展開の恐ろしさを感じます。


 ダビデの第一王位継承者息子アムノンは殺害され、アムノンを殺害した第二継承者アブシャロムは復讐を恐れて逃亡します。この二人が失われることは、ダビデにとって大きな悲しみと怖れであり、またダビデ王朝の歴史にとっても大きな危機でした。


 このような驚くべき暗い悲しい出来事がもたらしたダビデ王朝の危機は、ダビデの罪に対する神の一つの報いでした。しかしダビデ王朝は決して悲劇的に終わるものではありませんでした。このような危機の中にあっても、先の12章に示されているように、神はソロモンという将来への希望を備えておられました。



愛する天のお父様、今日のみ言葉を感謝します。私たちはイエス様によって聖いものとされたはずですが、時として罪を犯すことがあり、その結果、周りの家族や友人などをも巻き込むことがあるかもしれません。しかしそんな状況の中でも私たちが悔い改める時あなたはその罪をイエス様の贖いによって赦して下さり、将来への希望を残していてくださることを信じて感謝します。イエス様の御名によって祈ります。アーメン


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