この章は15章でアブサロムが謀反を起こしたとの知らせを受け、ダビデとその家来たちが都から逃げ出したという話の続きだ。精神的に参っているときに、さらに追い打ちをかけるように引き下げようとする出来事が重なるときがある。ここではそんな話が続く。
この時に詠んだのが詩編3編だ。愛したものから裏切られ、誰が味方かわからない状態。今まで無敵だったダビデも、自分の息子との戦いでは戦意など湧くはずがない。周りが敵ばかりに思え、ものごとを悲観的にしか見れない精神状態だったと思われる。
なのにダビデは、その状態に留まることなく、「しかし 主よ あなたこそ私の周りを囲む盾 私の栄光 私の頭を上げる方」(詩編3:3)と自分の視点を変えるのだ。そして、「私は身を横たえて眠り また目を覚ます。主が私をささえて下さるから。」(詩編3:5)などと詠う。
私ならこんな単純に眠れない。今まで、さすがダビデ、心臓強い!と思っていたが、今回、ダビデも自分の視点を必死に変えようと詠っていたのかもしれないと思わされた。もちろん、私と同じレベルではないだろうが、不安な気持ちがあふれるごとに、このように詠ったのかもしれない。賛美は不思議で、自分の不安を口に出しているよりも、神様の真実を口に出し、賛美した方がはるかに自分が強められ、励ましを受ける。
ダビデも、主がささえて下さるのだから大丈夫と自分で励ましているように聞こえた。
祈っているとき、神様の御心が自分の思いと一致していれば何も心配はない。こんなに心強いことはない。一致していないかもしれないと思うから不安なのだ。ダビデも人並み以上に心臓が強かったわけでもなく、特別深い信仰を与えられていたのではなく、私と同じようにうろたえるが、あきらめることなく神様の御心を信頼することを選び取っていったのだと思った。
天のお父様、今日のディボーションの時を感謝します。私の目が状況に囚われるとき、どうぞあなたに目を向けなおすことができますように。自分の思いの中に留まるのでなく、あきらめずにあなたに目を注ぎ続けることが出来ますように。そして、あなたの最善をよろこぶことができるように導いてください。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン