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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 創世記に始まった兄弟喧嘩で、アダムとイブの息子二人; カインが弟アベルを殺すという人類初の殺人。第二サムエル記でも兄弟間での殺人が繰り返された。


 ダビデ王の長男、アムノンと異母兄弟のアブサロム、そして原因はアブサロムと同腹の妹タマルをアムノンが恋をし、力ずくで陵辱し捨てるという事件にあった。

誰でも自分の妹が力ずくで陵辱されたら激怒悲嘆し相手を憎むだろう。今も昔も変わらず似たような事件はこの世では起こっている。大変悲しいことだ。


 人間は感情の生き物だ。だからアブサロムが怒りのあまり妹のリベンジのためアムノン殺害を周到に実行したことがよくわかる。自分も感情のあまり、すぐ反応して精神的に痛い目にあったことが、何度もある。境界線を無視し、ずかずかと入ってくる人をゆるせない。大昔のホテルの仕事では、感情のあまり、物を言ってしまい、結局言い出しっぺが、やることになってしまい、前より長時間働くことになってしまった。そういうことが重なり、「考えよう、いう前に」といつも自分に言い聞かせていた。少しはましになりましたが、今までの習慣ともって生まれたこの性格は変わらず、たまに感情的になり大失敗を繰り返した。


 このように学ばない、神様に立ち返らない罪深い自分でも赦されるのでしょうか神様、と何度も尋ねた。頭に入ってくる言葉は「私の愛にとどまりなさい」である。たくさんのものを失くしても、現在の生活を守って頂いていることに感謝です。


ヨハネの福音書15章9節「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」


14章最後の節でアブサロムはダビデ王の家来ヨアブの仲介により父王との再会が赦された。長男を三男に殺されたダビデ王、殺したアブサロム。


33節「ヨアブは王のところに行き、王に告げた。王はアブサロムを呼び寄せた。アブサロムは王のところにきて、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした」この場面で涙が出てくる。親子の再会がかなってよかった。


祈り: 愛する天の父なる神様、

私とあなたの仲介者はイエス様、私の大罪のため血を流し痛みを受けて下さった。感謝でいっぱいです。イエス様、ごめんなさい。そして、ありがとうございます。これからも私が迷わないよう導いて下さい。イエス様のお名前によりお祈り致します。アーメン


          文: マッカーター政子


余談: 

アブサロムは非の打ち所がない美男子だった。一年に一度髪を切り、それまではロングヘアーだったらしい。切った髪は200シュケル(2kg弱)もあったとか。その長髪が命を落とす一因となる。続きは聖書をお読み下さい。



 この13章は罪と自制のない情欲が、その人自身だけでなく、家族の者、また周りの人たち、社会にまで及ぼす破壊的な結果を現しています。


 ダビデの息子アムノンは異母妹の美しいタマルに恋します。彼はその情欲に取りつかれます。そんなアムノンは悪賢いいとこのヨナダブにそそのかされて、仮病をつかって床に伏せ、ダビデを通して、タマルに彼のところに来て、甘いパンを作ってくれるよう願います。疑惑を全く持たないタマルはパンを焼いて、彼の寝室に持って行きます。そしてアムノンは周りのすべての人を去らせ、二人きりになった時、タマルに自分と寝るようにと言います。しかし「こんな愚かなことはしないでください。」と嘆願するタマルのことばを全く無視して、彼女を力づくで辱めてしまいました。


 しかしその後「アムノンはひどい憎しみにかられて、彼女をきらって」、彼の家から追い出しました。タマルにとって、なんと切ないことでしょう。処女の王女である印である袖付きの長服を裂いて、歩きながら泣きました。そして生涯、兄アビシャロムの家でひそかに暮らさなければならなかったようです。


 このことを知ったダビデは激しく怒りました。しかしそんなアムノンを叱責したり刑罰を与えたりはしませんでした。その理由はアムノンが自分の王権の第一後継者であるからなのか、自分自身がバテ・シェバに犯した自責の念からかも知れません。


 タマルの兄も、アムノンに対して最初は憎んではいたけど何も言いませんでした。しかし最終的には二年後彼は自分の若者たちの手でアムノンを殺させました。


 この章の中心テーマは、ダビデが犯した罪に対する神の報いが、ダビデの子らの罪を通して、ダビデの王位継承に対する危機を呼び起こしたということです。池に落とした小石の生じる波状のような、一つの罪がもたらす報いの展開の恐ろしさを感じます。


 ダビデの第一王位継承者息子アムノンは殺害され、アムノンを殺害した第二継承者アブシャロムは復讐を恐れて逃亡します。この二人が失われることは、ダビデにとって大きな悲しみと怖れであり、またダビデ王朝の歴史にとっても大きな危機でした。


 このような驚くべき暗い悲しい出来事がもたらしたダビデ王朝の危機は、ダビデの罪に対する神の一つの報いでした。しかしダビデ王朝は決して悲劇的に終わるものではありませんでした。このような危機の中にあっても、先の12章に示されているように、神はソロモンという将来への希望を備えておられました。



愛する天のお父様、今日のみ言葉を感謝します。私たちはイエス様によって聖いものとされたはずですが、時として罪を犯すことがあり、その結果、周りの家族や友人などをも巻き込むことがあるかもしれません。しかしそんな状況の中でも私たちが悔い改める時あなたはその罪をイエス様の贖いによって赦して下さり、将来への希望を残していてくださることを信じて感謝します。イエス様の御名によって祈ります。アーメン


 主は預言者ナタンを通してダビデが起こした罪の報酬を伝えます。


 実に残念なことである。今まで主に忠実で謙遜な心の持ち主であるダビデはどこにいったのでしょうか。バテ・シェバとの間におかした罪をどうして悔い改めることができなかったのでしょうか。ダビデは、戦いに勝利に次ぐ勝利、王として地位も領地もさらには多くの子どもも得たのです。それが、原因で高慢になっていたのです。ことわざにもあるように、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」になっていたのです。主は預言者ナタンをダビデのところに遣わされて、一人の富んでいる人と、もう一人の貧しい人のたとえ話をします。


 富んでいる人のところに旅人がきたので富んでいる人は自分の持っている多くの羊や牛を惜しみ、貧しい人のたった一頭の羊を奪って調理するたとえ話しを聞いたダビデはその男に激怒し、そんなことをした男は死に値する。と言ったのである。すると、預言者ナタンは、「あなたがその男です。」と述べたのである。そして、主がダビデになさったことを予言者ナタンをとおして語られたのである。ダビデはそこで目のおおいが取り除かれ罪の告白をするのである。「私は主の前に罪ある者です。」13節(抜粋)ダビデの大胆さがあらわされています。その悔い改めでダビデは死なずにすんだが、罪の報酬が、バテ・シェバとの間にできた息子の死である。高慢になることの恐ろしさを知らされる思いです。高慢は、私たちから悔い改めの心を奪ってしまうのです。罪を指摘されたら素直に認めて悔い改めていかなければなりません。


 愛する息子が病気になった時にダビデは、神に願い求めた。断食をして引きこもり、一晩中、地に伏していた。だが、主なる神はダビデの願いを聞き入れず息子は死んだのである。主のことばを蔑み、主の目に悪であることをおこなったダビデへの罪のかいとりではないでしょうか。


 だが、主なる神はダビデが大きな罪をおかしても赦し、さらに祝福をしてくださったのである。アンモン人との戦いで将軍ヨアブはラバの町を攻め取ることができたのである。そして、将軍ヨアブはその勝利の栄光を帰すためにダビデを戦場に招いて戦って攻め取ったのである。なんというすばらしい将軍ヨアブの働きでしょう。自分の目の前にある手柄をダビデに帰すとは。立派な主従関係をみせられます。



 天の父なる神さま。罪を指摘されたら、素直に罪をみとめて悔い改めていくことができますように。地上にいる間は罪との戦いです。その罪も高慢になったら見えなくなってしまいます。そのような時は、どうぞ示してください。たえず謙遜な心をもって歩むことができますように助けてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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