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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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  ダビデの試練がここでやっと実が結ばれようとしています。イスラエルの全長老はヘブロンの王のもとに来て、ダビデはそこで主の御前に彼らと契約を結び、彼らはダビデに油を注いでイスラエルの王とした。


10節「ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。」


 ダビデがいつも主に伺うことを覚えてそのことを硬く守ってきたので、主が彼を大いなる者としてくださったのである。そして、どんなにむつかしい戦いでも主が彼とともにおられたので見事に圧勝したのである。エビス人は高を括って、「目の見えない者どもや足の萎えた者どもでさえも、おまえを追い出せる。」とダビデに向かって言ったのである。しかし、主が彼とともにおられたので、ダビデはシオンの要害を攻め取って、これを「ダビデの町」としたのである。


 そればかりか、主なる神様は、ダビデの王位を確立しようと隣国の王様の心さえも動かして王宮を建ててくださったのである。さらに多くの子供たちにも恵まれたのである。そのようなことは、すべて主なる神がなさったことだとダビデは知ったのである。だから、ダビデは謙遜になったのである。もし、神を知らなかったらそのようなことは自分がやったと高慢になっていったことでしょう。神を知ることは、私たちの心の中から高慢の罪を取り除いてくださるのである。


12節「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」


  神様は、ダビデを多くの試練に追いやられました。ダビデは見事にその試練を通りこすことができたのです。すべては、主がいつも彼とともにおられたからです。しかし、主の目的は、ダビデがイスラエルの王になることではなかったのです。それは、主の民イスラエルのために、ダビデを王にしたのである。そのことを知ったダビデは、普通の王様としての独裁者にならなかったのです。

  


 愛する天の父なる神さま。いつも私たちと共にいてくださることを心から感謝します。日々の生活の中でいろんな出来事に遭遇します。そのような時にこそ、あなたに感謝して祈ることができますように導いてください。多くの試練を通して私たちの忍耐が試される時、それは信仰の道へ深められるということを心に持ち続けることができますように守ってください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から救い出してくださった。」(4:9)


 サウルが戦死し、ダビデの名声と力は誰もが認めるところとなった。そうなれば、サウル亡きあと、いかに新しい王であるダビデに取り入るかを考えるのは、当然のことでしょう。

 サウルの息子のイシュ・ボシェテの二人の部下は、主君の首をダビデのところに持って行けば、ダビデに重用されるだろうと考えたのでしょう。しかし、この二人の計画も虚しく、ダビデの怒りに触れて殺されてしまったのです。


 人生の計画の中に、神がいるか、いないか。ダビデの人生には、常に「主は…」という主語があります。計画の中に、主なる神の存在があるのです。主は、それを喜ばれるか、主の御心にそっているか、主の道から外れていないか、常に主を意識しているのです。

 

 イシュ・ボシェテの二人の部下は、良い計画だと思ったでしょう。当時の常識からすれば、確かに良い計画だったのです。しかし、人の目に良い計画、完璧な計画であったとしても、主の目にはどうなのか? そこに「主は…」という主語はあるのか。そこを見誤ると策士策に溺れるがごとくに道を誤ってしまいます。


 私たちの人生のすべての計画の中に「主は…」という主語を持って歩みたいと心から願います。


 天の父なる神さま

 私たちの人生の全ての事において、「主は…」という意識を持たせてください。そして主の御心に歩むことが出来ますように、聖霊が私たちを導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

                               文:関真士


『王座争い』


 イスラエルの民は私たちに王を与えて下さいと願った時に、主はサムエルを通じて、あなたがたが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、主はあなたがたがに答えはしない。なぜなら民がわたしを王として彼らを治めることを拒んだのだから。 と第一サムエル記8章18節で記されていますが、この章第二サムエル3章では、1節(王座を狙って)「サウルの家とダビデの家の間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。」と記されています。預言の通りにイスラエルの民は、人間の王の権力争いのために泣き叫ぶことになります。


 王座をなぜ欲しがるのか。全ての事を決定出来る権力の座には、麻薬のような魅力があり男どもは争って、しのぎを削って求めたくなるものなのです。一旦王座を手に入れると、その力を保ちたいという肉の欲に囚われてゆくのです。ダビデも王として安泰した時から、脱落が始まっていますし、その息子ソロモンも栄華を極めた時から、偶像礼拝、浪費が侵入してきてしまいます。


 やがて、サウルの軍の長であったアブネルは、ますます優勢になってゆく12部族の中の、一つであるユダ族の王であるダビデに対して、他の11部族をまとめて、ダビデを王とする提案をしにダビデ王の住むヘブロンにやって来ました。


21節「アブネルはダビデに言った。「私は、全イスラエルをわが主、王のもとに集めに出かけます。彼らがあなたと契約を結び、あなたが、お望みどおりに王として収められるように致しましょう。」ダビデはアブネルを送り出し、アブネルは安心して出て行った。」


 アブネルは、世の動静を読み、戦いの流れがダビデ王になびいている事を理解した上での決断だったのか、ダビデ王に仕えて勢力を得ようと考えたのか、理由は明らかではありませんが、ダビデに従う決心をしたのは間違いありません。しかしここで、ダビデの従姉妹のツェルヤの子ヨアブ軍団長は、弟を殺された事を恨みに、アブネルを暗殺してしまうのです。骨肉の恨みでの殺人でした。


39節「この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツェルヤの子であるこれらの者たちは、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者に、その悪にしたがって報いてくださるように」 王座争いには血肉の戦いがあるのです。


祈り

 どうか本当の君主であり、全てを公平に愛し、裁く方でおられる主イエス・キリストが

私達の王となり、再臨されますように! 本当の平和は王なる主が来られた時に完成する事を信じて、再び主が来られる事を待ち望みます。 アーメン

文:森 宗孝


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