top of page
hccnichigo

2020年9月16日ディボーション

わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。

枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結びことは

できません。 ヨハネの福音書 15章:4

これまでの人生を歩んできて最大なる悲しみと絶望感に打ちひしがれたことがありました。私には神に従っていく資格がないものだと落ち込んだ経験がありました。でも、イエス様から離れようと思ったことはなかったけれど、イエス様に背を向いて自分を責めて苦しんだことはありました。何日も何日もそれは続きました。その悲しみと絶望のなかからイエス様は、私を再び立ち上がらせて下さりました。

今、振り返ってみたらそれは、神が私のうちにとどまってとりなして下さっていたからだと思います。

神にとどまっていれば神の恵みで御霊の実(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)を結ばせて下さいま

す。

私が悲しみと絶望の中にいた時に、もし私がイエス様から離れていたら私ひとりでは決して立ち上がることができなかったと思う。自分の経験を通して言えることは、私達は決して神から離れてはいけない。神につながっていたら、神が私達に実を結ばせて下さるのである。神は愛する御子イエス様を私達の罪の為に十字架に架けられるほどに私達を愛して下さっている。このことを思う時どうして神から離れることができようかと思

います。


祈り

愛する天のお父様、あなたの御名を心からほめたたえます。

どんな時にもしっかりとイエス様につながって実を結ばせていただけますようにイエス様から離れるということがありませんように日々の歩みを助けてください。語られたメッセージからあなたの御言葉にふれさせて下さって心から感謝します。

 イエス様の御名によって祈ります。アーメン

閲覧数:6回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年7月30日 ヨハネの福音書21章

『再びガリラヤ湖畔で』 いよいよ最後の章となりますが、ペテロが一番初めに主イエスに出会ったのも、このガリラヤ湖でした。ルカ5章では主イエスの指示通りに網をおろして、おびただしい数の魚をとれた後に、あの時、シモン・ペテロは「主よ、私から離れて下さい。私は罪深い人間ですから。」...

2024年7月29日 ヨハネの福音書20章

『ヨハネが書いた目的』 主に愛された使徒ヨハネが、晩年になって(著作時期を紀元90年頃だとすると彼は90歳近い)この時期はローマからのキリシタン迫害が激化し、使徒達はすでに殉教死していた。離散した信者達の中には希望を失い、ユダヤ人信者は迫害から逃れるためにユダヤ教に戻ろうと...

2024年7月28日 ヨハネの福音書19章

19章の聖書箇所はいつも自分に問われるところである。十字架は自分にとってなにを意味しているのかを深く考えさせられ、又、原点にもどれるところでもあります。 「イエスを十字架につけろ」と叫ぶ群衆は自分の姿でもあります。又、ピラトのように群衆を恐れて罪のないイエス様を彼らに引き渡...

Comments


bottom of page