詩篇第二巻 52篇
『エルサレム賛歌』
今週のディボーションは、火曜日の詩篇48「エルサレム賛歌」から毎日のように、シオンを黙想することが多かった。
「北の端なるシオンの山は大王の都」詩48:2
「麗しさの極み シオンから 神は光を放たれる。」詩50:2
「どうかご恩寵により シオンにいつくしみを施し エルサレムの城壁を築き直してください」詩51:18
チャーチの信仰の先輩からも「今、詩篇110篇を黙想していて、エルサレムの神殿の構造のことで知りたいことがあるの」とテキストがきた。
「主はあなたの力の杖を シオンから伸ばされる。」詩110:2
シオンの山々に連なるエルサレムは、神さまの都だ。旧約の民から都は慕われ、褒めたたえられてきた。ダビデの神殿が建つもっと前、信仰の父アブラハムが息子イサクを捧げた岩がある場所だ。
エルサレムという名前は、”イェル”と”シャローム”の2つの言葉で成り立っているという。イェルは”町”、シャロームは”平和”、”充足”、”救い”などを意味するから、神さまの都は”平和の町”なのだ。そしてそこには今も、神さまが臨在しておられる。
ああ早くエルサレムに行って、神さまのご臨在を肌で感じてみたい。臨在は感じたいけれど、エルサレム賛歌には聖書的にもっと深い意味もあるのだろう。
イスラエル旅行がしたいなあと渇望しつつ、今の私にとってのエルサレムはホノルルキリスト教会なのだと想いを巡らした。そして私も神の教会の一部で、神さまの臨在を宿している存在‥‥。それってすごい。
牧人先生と千恵ちゃんにとってのエルサレムは、LAホーリネス教会に移ってしまうんだと、しんみりもしていた。
さて52篇に気持ちを切り替えよう。52篇当時、エルサレムには黄金の神殿はまだなく、ダビデによって契約の箱が幕屋に安置されていた。
「しかし私は 神の家に生い茂るオリーブの木。私は世々限りなく 神の恵みに拠り頼む。」52:8
権力者たちが入り乱れて争い、欺きや偽りで混乱した世の中にあって、それでもなお「神の家」を仰ぎ見ていた詩人。神殿がなくても臨在を感じられる、その信仰。
「神の恵みに拠り頼む」とは、どんな逆境や苦難にあっても、神さまの絶対的な愛の計画=恵みを100%信頼すること。自分が先走るのではなく、御名を待ち望み、神さまに従うこと。
もっというなら、信仰は自力で得たものではなく、神さまから与えられたもの。神の家を見せてくださるのも、神の恵みに拠り頼めるのも、神さまがそうしてくださったからできるのであって、己の力ではないということ。ぜんぶ、すべて、神さまの支配の中にある。それがどれだけ安心で感謝なことか!
どうか神さま、緑のつやつやの葉っぱを年中輝かせるオリーブの木のように、暑い時も寒い時も、順風の時も逆風の時も、神さまあなたをあがめられますように。そうお祈りするのは、私があまりにブレやすいからです。すぐ我が強くなるからです。あなたの前にへりくだれますよう、私の欠けを補って整えてください。イエスさまの十字架をもっと感じさせてください。
イエスキリストの御名で祈ります。アーメン
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