詩篇第三巻 74章
エルサレム崩壊とバビロン捕囚の背景を表した詩篇だといわれている。作者はその惨状のなかにいて、なぜ神は何もしてくれないのかと嘆いているのである。神の憐れみを願った詩篇だともいわれている。
この74章で作者は同じ言葉を数回使っていることに注目させられる。
最初は、神に対して「いつまで〜されるのですか」ということばで三度も神にくい下がっている。作者は、自分達の国の為に真剣になって祈っているのである。自分達の聖所が敵によって汚されたこと、この国には指導者がいなくなったことなどを嘆きながら主に祈っているのである。作者の自分の国の為に必死になって祈っている様子に心が動かせられる。
そして、次は「〜してください」へと嘆願の祈りに変わっていっている。
「あなたの足を 永遠の廃墟に踏み入れてください。」3節
「主よ どうか 心に留めてください。敵がそしり 愚かな民が御名を侮っていることを。」18節
「あなたの山鳩のいのちを 獣に引き渡さないでください。あなたの悩む者たちのいのちを
永久に忘れないでください。」19節
「どうか 契約に目を留めてください。」20節
「ご自分の言い分を立ててください。愚か者が休みなくあなたをそしっていることを 心に留めてください。」22節
「忘れないでください。あなたに敵対する者の声を あなたに向かい立つ者どもが絶えずあげる叫びを。」23節
作者はいつまで続くかわからない暗闇の中にいて、神に疑念を持ったことでしょう。ジレンマを持つ気持ちにもなったでしょう。暗闇の世界がいつまで続いていくのかがわからないと、見えないこと、それはとても耐え難いことである。でもそれでも神に切に祈り求めたのは、神の憐れみに食い下がっていこうとする作者が神の御業を期待し待つことだったのだろう。
私達も全てを失った時に果たしてこの作者のように祈れるだろうか。絶体絶命の時に人は、神から見放されたと思うだろう。神はいないと思うだろう。祈ることすらできないかもしれない。でも、神様は決して私達を見捨てることはされないお方である。私達もこの作者のように悲惨の中にいても神様に向かい憐れみ願うことである。
祈り
旧約の時代に国を乗っ取られ、挙句の果てに国から追放されるという悲惨な出来事にあっても神様に向かって憐れみ願うということを学ばされました。ありがとうございます。私達は弱い肉の人間です。時にはこの世と波長を合わせることがあります。どうぞそのような時には、神様に目を向けて憐れみを願うことができますように導いて下さい。暗闇の中にいても決して、神様に疑惑を持つことがありませんように助けて下さい。
感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン
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