旧約聖書 列王記第二 22章
『王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を引き裂いた』11節
語られた事:
列王記をずっと読んでいる間、何度衣を引き裂いた王がいただろうか? 数えてはいないが、この風習はなんなのだ? とずっと気になっていた。これは当時の人々が心から湧き上がる感情、特に自分の罪に対する嘆き悲しみ、そして後悔を示す感情表現だったようである。
ヨシヤは8歳で王となり、「彼は主の目にかなうことを行い、父祖ダビデの全ての道に歩み、右にも左にもそれなかった」(2節)とある。しかしそんな敬虔なクリスチャンであるヨシヤでも失われていた立法の書を改めて読んだ時にハンマーで頭を叩かれたような感じがしたのではないだろうか? 彼が律法の書のどんな箇所のに心捉えられたのかはわからない。しかし主の怒りが、当時のイスラエルの状況を作り出していると気がついた。
今朝の新聞の一面にヨーロッパで新たに見つかった変種のコロナウイルスに感染した患者がオアフ、また近隣の島でも見つかったことが書かれていた。まだ主の怒りがおさまらず、全世界的に神様の怒りが及んでいるのだろうか? それならば、私たちはヨシヤのようにもう一度自分たちの心がどこを向いているのか確かめる必要があると思った。
礼拝堂で礼拝を守る事が主に立ち返るための、ただの儀式にならないように、神様と私の心の交わりがあるように周囲の環境に左右されないようにしたい。これからも、もしかすると以前のような礼拝堂で、兄弟姉妹が沢山集うことは困難になるかもしれない。しかしどんな場所にいても主はそこにおられる。そして私の声を聴いて下さる。日々の様々な決断の時も主に立ち帰り、主の声に聴き従い、主の御心が何か感じ取りそれを行う。毎日、どこでも神様と礼拝を持てる。なんとありがたい私たちのフレンドリーな神様。感謝です。
ヨエルはこう語る。「衣ではなく、あなた方の心を引き裂け。あなた方の神、主に立ち返れ。主は情け深く哀れみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで災いを思い直してくださる。」(ヨエル書2章13節)
災いを思い直していただけるよう、毎日、私の主に立ち返って歩んでいきたい。
●祈り:
天の父なる神様。毎日罪を犯してしまう私です。こんな私にも恵みを等しく与えてくださりありがとうございます。世界的な禍の中にある私たちです。どうか、貴方がこの禍を思い直して、世界中の人々が安心して交わることができる時代が来ることを切に願います。イエスキリスト様の御名前を通して御前にお捧げいたします。アーメン。
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