Ⅱ歴代誌5章
ここに来て、とうとう神の神殿が完成した。最後の総仕上げは、主の契約の箱を定められた場所に安置したことである。(7)
神殿とは、このために造られた。豪華絢爛な建物を建てて権力を誇示するためでも、その芸術性を愛でるためでもない。契約の箱を安置するための建物なのだ。契約の箱とは、神の臨在の象徴であり、契約の箱が神殿に安置されたことで、この建物は文字通りの神の殿になったのだ。もし契約の箱がなければ、それはただの建物にすぎない。だから、契約の箱の安置によって、この神殿建設は完成と言えるだ。
そしてこの時、まさに賛美が捧げられたのだが(12,13)、この賛美集会に参加したいなと、心から思う。どのような賛美が捧げられ、どれほどの喜びがあったことだろうか。
そして、この歴代誌においても特筆すべき事柄が記されている。
「主の栄光が神の宮に満ちたからである。」(14)
主の栄光の雲が宮に満ちたのだ。まさにシャカイナグローリーである。
私たちの礼拝も、このような時であるはずだ。礼拝堂には、主の栄光が満ちている。私たちは、その栄光の臨在の中で、主を礼拝し、賛美する。
祭司たちは、主の栄光のために立って仕えることができなくなったと記されている。そんな光景が現代においてもあるのだろうか。主の栄光の臨在に圧倒されるような、そんな礼拝の時を経験してみたいものだ。
語られたこと:
主の栄光が宮に満ちた。何と素晴らしい描写だろうか。この場面に自分も居たい。そこに居たいと心の底から思う。
祈り:
天の父なる神さま。主の栄光の臨在に私たちをお招きください。立っていることができなくなるくらいに、圧倒的な臨在をもたらしてください。ただ主の栄光をあがめる、そんな時を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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