歴代誌二 25章
『語りかけることをやめない神さま』
●学んだこと:
列王記の時もそうだったけれど歴代誌も、こうして終盤に差しかかると記者たちの文章は定型化し、少々素っ気なくなってくる。末路を知っているからだろうか。
25章の始めではアマツヤ王の評価が簡潔に記される。
25:2 彼は主の目にかなうことを行ったが、全き心をもってではなかった。
中途半端で優柔不断な信仰者だったというわけだ。
そして章の終わりのところで、暗殺されて墓に埋葬されたことも記されている。
”エジプト方面のラキシュまで逃げたが暗殺され、エルサレムの王たちの墓ではなく、ユダの先祖の墓に葬った”と。
国王としても中庸な、功績の薄いリーダーだったと、墓のランキングでにおわせている。
でも29年間も曲がりなりにも国を治める重責を全うした。モーセの律法に従って、御霊の実の”自制”で自らをコントロールしようと頑張った。なにより戦国の世にあって、戦士を指揮して勇敢に戦ったじゃないか。
なんだ自分?! アマツヤをかばっている。贔屓目に見ている。
理由は簡単だ。私の信仰は、アマツヤ以下の中途半端なものだという不安があるから。なんかこういう章を読んでいると、面目なくて顔を上げられなくなってくる。
読み進むと、神さまはアマツヤに向かって怒りを燃やし、別の預言者をまた遣わす(15節)。
全き心を持てずに、神さまに従ったり裏切ったり、傲慢になったり泣き言をいったりするアマツヤなのに、神さまは見捨てられないのだ。
神さまは全能だから、力づくで支配することもできるのにそうはしない。神さまだけはしないのだ。
神さまは語りかけるだけだ。神さまの民としてアマツヤを愛しているから、最後まで人格を尊重し続ける。叱責して教え諭して、なんとか正しい道に戻ってきて欲しいと願い、ことばで語りかける。
神さまは愛することを絶対にあきらめない。ご自身がどれだけ痛み悲しんだとしても。
そんな神さまの愛をわかっているというのに、なんでもっと大胆に従えないのか?! 自分自身がじれったい。
●祈り:
私を愛してくださる神さま、私もあなたをもっと愛して、もっと信頼して、もっと委ね捧げられるようになりたいです。どうかあわれんで力を貸してください。イエスさまのお名前で感謝して祈ります。
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