歴代誌 第二 36章
「あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神、主がともにいてくださるように。その者は上って行くようにせよ。」 -23節-
●語られたこと:
いよいよ第二歴代誌もここで終結をむかえることになった。
36章は、ヨシヤの死後に4人の王達(エホアハズ、エルヤキム、エホヤキン、ゼデキヤ)が登場する。
4人の王達全員が主の目に悪であった。神が予言者をとおして悔い改めの機会をあたえたにもかかわらずに、さらには使者を遣わすが、その使者たちを侮り笑いものにして、神に立ち返ろうとしなかった。いよいよ神の激しい憤りが民にたいして燃え上がった。神の限界はすでに頂上に達していた。神は、老若男女問わずにすべてのものをカルデア人の手によって打たれた。
神よりもリードをする王を選んだ民も哀れなものである。ここから私も自問自答させられた。
私自身もイエス様に出会えていなかったら、間違った選択をする道に歩んで、今の自分に決してたどり着くことができなかったと思う。真のリーダーに出会えなければ、良き人生を歩むことができない。自分自身も旧約時代に生を受けていたら、悪いリーダーであろうと、良いリーダーであろうと容赦なく従うしかなかっただろう。今は、これからもずっと、私のリーダーはイエス様ただ一人である。どんな時にも主の名を呼び求め、主からきているかどうかを主に聞き従っていき歩んでいきたい。
でも、神は、エルサレムの民を決して見捨ててはおられなかった。ペルシャの王キュロスは預言者エレミヤによって捕囚された民に宣言する。「あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神、主がともにいてくださるように。その者は上って行くようにせよ。」-23節-
神の憐れみによって再びエルサレムの民はイスラエルに帰還することができた。
歴代誌をデイボーションして示されたことは、多くの王達による失敗は決して他人事ではなく、自分自身にも問われることであること。それは、時には、神を二の次にしてしまうこと、傲慢、自信過剰、その他、などが示された。その王達の失敗を通してたくさんのことを学べることは恵みであり、感謝なことである。
●祈り:
愛する天の父なる神様、歴代誌から多くのことを学ぶことができた恵みに心から感謝します。
多くの王達の失敗を通して、私自身もたくさん悔い改めへの道へとしめされました。
これからも聖書を通して、どうぞ示して下さい。その都度悔い改めへの道に進むことができますように助けて下さい。
感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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