歴代誌 第二 27章
『どんな道を歩むのか?』
人生50年も生きていると様々の事に遭遇する。しかし、そんな私でもまだ体験したことが無い事に遭遇した。銃の乱射事件の犯人が立て篭もった場所の近所に住んでいたために帰宅出来なくなった。被害者が出ないように、周辺地域は侵入禁止になってしまった。友人を送って帰宅した夜の8:30の出来事。ありがたいことに、この事件を教えてくれた姉妹が泊めてくれたので早朝の事件解決まで車中泊する事なく日曜日の礼拝にもなんとか参加出来た。どんな選択、(道)を歩むかでその先は大きく変わる。警察の言うことを聞かず、徒歩で友人を送っていて銃撃戦に巻き込まれたいたら・・・と考えると、人生のどんな道を歩くかはとても大きな事だと痛感させられた。
ユダ王国のヨタム。25歳と言う若さで王となったが彼は主の目にかなう事を行い(2章)勢力を増し加えた。それは彼が自分の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである(6章)と記されている。自分の道とは何か。それは主に祈り、聴き従い、常に神に求める道ではないだろうか。
モーセが民にこう語っている。「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心をつくし、命を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。」(申命記 6章4-6)これが主の目にかなうことであり、主が私たちに求める道の姿だと語られた。
パウロはさらにこう語る。「あなたは信仰によって立っています。思い上がる事なく、むしろ恐れなさい」(ローマ人への手紙 11章20節)神の恵みによって順風満帆な時、私の目は曇りやすい。霧のかかった道のようになり、どこを進めば良いかわからない時がある。つい肉の思いで自力で進んでしまいそうになる。まさに今私が置かれている環境がそうだったのだと気付かされた。ヨタムのように勢力をまし加えた時ほど、神様に従順でかつ柔軟に聞き従うものでありたいと思った。
●祈り
天の父なる神様。あなたは多くの出来事を通して私に毎日気づきを与えてくださいます。ありがとうございます。どんな時でもあなたは私に信仰によって繋がる兄弟姉妹を与えてくださいます。心から感謝いたします。私の道があなたにつながる道からそれる事がないように、いつも導いてください。
主、イエスキリストの御名前を通して、御前にお捧げいたします。アーメン。
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