エズラ記 9章
『大の男が恥ずかしいと吐露する、琴線に触れる祈り』
●学んだこと:
エズラが率いる2回目の帰還者の道中。エズラは川のほとりで断食をして、神の前でへりくだり、道中の無事を神に願い求めた。
神に背くことがないよう警戒し、帰還者たちは無事にエルサレムに到着した。
ところが留守中、先に帰っていた民は、母国への帰還と神殿建築の喜びにハメを外し、異国の娘と雑婚していたのだ。しかも指導者たちが率先してやっていたという、最悪の事態。
ルートは守られたのに、肝心のゴール地点で人々は慢心した。
エズラは茫然自失となってしまう。エズラの一人称の独白は、6節から神さまに対する罪の告白と、恥じ入るばかりの罪を吐露している。
9:6「私の神よ。私は恥じています。私の神よ。私はあなたに向かって顔をあげることを恥ずかしく思います。」
罪の告白や反省を理路整然とするのではなく、恥ずかしいと思う感情を言わずにはいられなかったエズラ。恥の文化は日本人的には分かるが、旧約の時代の大祭司ともあろう人が、神さまの愛や哀れみを裏切ってしまったことの、心の悲しみや憔悴を打ち明けずんはいられなかった。一番弱い部分を神さまの前にさし出したエズラ。
そしてエズラを含めた「私たちの罪」として告白している。雑婚した民を断罪することなく、民に代わって額づいている。
神の御前に立つ資格がなどないのにと、罪過だけを告白するエズラ。軽々と悔い改めの言葉など口にしないのだ。
私は日々、神さまに対して、せいいっぱい真摯な祈りを捧げているだろうか。易々と悔い改めを口にするのは、罪を犯すよりも神さまを裏切ることになるというのに。
●祈り:
弱き者として正直に心を注ぎだすエズラの祈りに打たれました。神さま、あなたの憐みに甘え過ぎている私がいます。イエスさまの十字架の重さを軽んじることがないよう、謙虚さを注いでください。イエスさまのお名前で感謝して祈ります。 アーメン
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