ヨブ記27章
『正しすぎてはならない』
随分と長いこと、友人たちと議論を続けてきた。ずっと議論を続けていると、不思議なもので、いつの間にか自分の「確固たる主張」「折れることのできない思い」が、ますます際立ってくる。いや、そもそも議論(debate)とは、そういうことだ。
ヨブもこの27章では、1節「ヨブはさらに言い分を続けた。」と、友人ビルダデへの返答は、「言い分」と訳されている。直訳では「格言を取り上げて」という意味らしい。とにかく必死なのだ。格言を取り上げてでも、負けられない議論がここにある。
ヨブによる、その「言い分」の中身とは、正直目を見張る。
「私は、私の権利を取り去った神にかけて誓う。
私のたましいを苦しめた全能者にかけて。」2節
そして、あくまでも、自分の潔白を主張して止めない彼の姿がここに浮き彫りにされるのだ。「自分は正しい」という確信が束縛のように、彼を苦しめ、神に対しては怒りにも似た嘆きしか出てこない。
あれ・・・でもヨブ、これって、ちょっとおかしくないか・・・?
「私は息絶えるまで、
自分の誠実さをこの身から離さない。
私は自分の義を堅く保って手放さない。
私の良心は生涯私を責めはしない。」5〜6節
自分、自分、私、・・・繰り返される議論の渦に呑み込まれて、いつの間にか、自分で自分を正しく認めようと躍起になっているではないか。自分で自分の正しさにしがみつこうとしているではないか。
ここまでのヨブの歩みを見ていたら、こうなってしまう気持ちもそりゃ分かる。でも、こうして自分の言い分を続けるヨブ、これも苦しいに決まってる。
1冊の本を思い出した。それは高橋秀典先生の『正しすぎてはならない』という伝道者の書の翻訳と解説の本だ。そうだった。あの知恵の書に記されていた。
「あなたは正しすぎてはならない。」伝道者の書7章16節
天のお父様
自分の正しさ、自分の主張は、エスカレートすればするほど、自分を苦しめます。そのような中、たとえ理解不能に陥っても、「私」ではなく「あなたの真実」、「あなたの義」、「あなたの心」にすがる信頼を私に与えてください。そして、自分自身を苦しめる躍起な思いから私を遠ざけ、私のすべてを守って導いていてください。アーメン。
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