2022年10月11日 ディボーション
- hccnichigo
- 2022年10月11日
- 読了時間: 4分
使徒の働き20章
『受けるよりも与える方が幸いである』
この章ではユテコという青年が眠気が差して三階から落ちた話が出てくる。よっぽどパウロの話が長かったようで夜を徹して語ったパウロ、彼はもう一度この人たちと会う機会が無いだろうと一生懸命に福音を伝えようとしていたに違いない。
しかしユテコさんは昼の仕事で疲れていたのか、パウロのメッセージが難しすぎたのかウトウトしていたのだろう。居眠りで思い出すのは熊本教会でメッセージをしていた頃に一人のおばあちゃんが一番奥の席に座って、コックリと眠る姿を講壇から見ていた。講壇に立つと誰が眠そうになっているのか、あくびを堪えているのか良く見える。おばあちゃんの寝姿が気になって声を大きくしたりして起こそうとしたが無駄で彼女はぐっすり眠り込んでいました。その後の愛餐会の時に、起き出した彼女に声をかけた時「あんたの声は良い声で眠気をさそるばい」と言われて苦笑いした事を懐かしく思い出します。しかしここのユテコの場面はもっと深刻で三階から落ちて一度死んでいた彼を生き返らせたという奇跡の技が聖霊の力によってなされました。主イエスのみことばを理解し体験したパウロの聖霊に満たされた姿はなんと力強いことでしょう。Iコリント4:20「神の国は、ことばではなく力にあるのです。」
さてこの時のパウロの思いはどうであったか、あなたがたと二度と逢えない、自分の走るべき道を走り尽くし神のご計画の全てを知らせた。とはいえ自分が去った後に教会の中に凶暴な狼が入り込み群れをあらすことも知っていた。そうして今はあなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねる彼の信仰の力を主は聴いてくださいました。
その後パウロはエルサレムに向かう船に乗るべく待機していた港町ミレトスで、特別な愛をもって3年ほど一緒に暮らした近くのエペソ教会の長老たちに最後に逢いたいと使いを送り、告別のメッセージをミレトスでするのですがこれがまた強烈なメッセージなんです。
28節「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血を持って買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」
主イエスの血潮で買い取った教会を責任持って引き受けなさい。教会の長老や牧師が受ける大変な責務です。現代の教会にも当てはまるパウロのメッセージです。
さてパウロ自身はテント職人で自分の生活費は自分で稼ぎ出して決して人のお金をあてにしていたことは無かったのです。続けて教会の長老たちに主イエスのことばを伝えます。
35節「このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」
受けるよりも与えるほうが幸いとは、パウロ自身の生きざまを示すと同時に聖霊の働きによって自分の意志というよりも、弱い者を助けたいと心から願う声の方が大きくなる導きを示しているのだと思います。
みことばは生きていて私たちを成長させ、聖なる者の道を聖書から知らせて下さいます。十字架の主イエスを知って初めて自分が創造主なる神と和解し罪が赦された確信を得ます、そして復活の主を思い、受けるよりも与えることの幸せを経験しながら徐々に霊的成長をしながら、心の中が聖なる者・主イエスに似た者と変えられてゆくと聖書は語ります。我々もやがて再臨される子羊イエスと出会う確信を持つ時に救いが完成するのです。私たちの救いはただ単にいままで犯してきた過去の罪、これからも犯すであろう将来の罪からの赦しだけで終わらずに、魂の救いから今度は身体の救い、永遠の命、栄光の身体を受けるべき栄誉に輝く者とさらに成長を遂げる約束に心から感謝いたします。主イエスはまず罪に染まった魂を救い、やがて我々の身体も栄光の身体と変えて下さり救いが完成するのです。
祈り
主イエスを信じる者としての最初の一歩である受ける者から喜んで与える者となれますように導きください。与えることの喜びが心の中から湧き上がりますように、そうしてやがて受ける栄光の身体で主と共に話し、ほがらかに平安のうちに一緒に住むようになりますように アーメン
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