エゼキエル書 23章 関
23章に描かれている二人の女、「オホラ」と「オホリバ」とは、北イスラエル王国と南ユダ王国のことである。北イスラエル王国は、BC722年にアッシリア帝国に滅ぼされ、南ユダ王国は、BC586年にバビロン帝国によって滅ぼされる。
23章には、この滅亡の出来事と、その原因である偶像礼拝について書かれている。すでにエゼキエルによって繰り返し語られている、民の偶像礼拝の罪と、それに対する神の裁きが、この章にも記されている。
最後の節の49節に「このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知る。」と記されている。「このとき」とは、神の裁きがくだる、その時である。
神の裁きの目的は、罪を犯した民に対して刑罰を下して苦しめるためではない。その目的は、「神を知る」ことである。
神を知るとは、知識として知るということではなく、関係として知る、つまり体験的に知ることである。
そこで、二つのことを知る。聖なる神の、罪に対する妥協なき厳しさと、罪を犯し続ける人間に対する、忍耐と愛を知る。神の厳しさは、神の愛である。神の愛は、神の厳しさである。
その神の愛と厳しさは、イエスの十字架にはっきりと見ることができる。私たちは、イエスの十字架を通して、「神を知る」ことができるのだ。
私たちは、優しい愛の言葉には耳が開くが、厳しい罪を指摘する言葉には耳が閉じやすい。神は、ある時には、どこまでも優しく語りかける。ある時には、ずばりと厳しいことを語りかける。
どちらの語りかけも、「神を知る」ための語りかけなのだ。特に厳しいと感じる私たちの罪を指摘する示しも、「神を知る」ためなのだ。
人生、いろいろな事があるが、すべての出来事は「神を知る」ためだと言っても過言ではないだろう。
天の父なる神さま。
今日も、私たちは、あなたに知られ、またあなたを知っていることを感謝します。しかし、あなたの偉大さは、私たちの頭の中に収まることはないことも知っています。どうか、これからもあなたをもっともっと知ることが出来るように導いてください。あなたを愛すること、あなたを畏れることを教えてください。
あなたの御心を感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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