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2022年11月5日 ディボーション

エゼキエル書17章


『救済できるのは神さまだけ』


 冒頭の神さまのことばが興味深い。「謎をかけ、たとえを語れ。」(2節抜粋)と、「たとえを語れ」という動詞に、「謎をかけ」とさらなる目的格を重ねて念を押しているのだ。しかも謎もたとえも同じ比喩、レトリックの仲間。わかる人にしかわからない、なぞの難問を出せとおっしゃったのだろうか。

 最近読んでドハマりした本が、榊原康夫氏『聖書読解術」だ。1970年に初版だから、長く読み続けられた名著なのだろう。榊原先生はものすごく神さまに忠実で敬虔な牧会者だ、とすぐに感じた。敬虔さが含羞になり、初々しい謙虚さが温かなユーモアさえも生んでいる。この名著の中に『たとえ話解釈術の巻』という項目があり、神さまの比喩には、なぞ=enigma 、寓話= fable 、たとえ=parable があると解説してくれる。

 中でもイエスさまはたとえで語る名手だとした上で、たとえのキモを明かす。以下、榊原先生のユーモア交えた原文を引用をします。

①たとえ話は、そんな回りくどい話しかたをしなければならないほど特殊な事情があるに決まっています。その必要性を理解するのです。

②ありそうなリアルな物語ですから、その土地その時代の風俗、習慣、生活様式を想像して理解します。

③結び、に注意します。だめ押しに、最後に、言わんとしている主旨をずばりと語ることが、ないわけではありません。

 榊原先生の教えに従い、17章のなぞとたとえを解けば、「色とりどりの豊な羽毛の大鷲」(3節抜粋)はバビロンのネブカデネザル王、「その若枝の先」(4節抜粋)は、ユダのエホヤキム王。「もう一羽の大鷲」(7節)はエジプトのこと。バビロンとエジプトの二大強国のはざまで揺れ滅ぼされるエルサレム滅亡を預言している。

 で、榊原先生の③の結びに注意すれば、17章最後、22〜24節のエルサレム救済の預言を希望として受け取ることができる。


「それゆえ、神である主はこう言われる。わたしは生きている。」(19節抜粋)

 主は生きておられるのだ。戦争や疫病や格差社会の中で、分断はさらに深まり、旧約の時代のバビロンやエジプトのように権威主義的な国が台頭している。だけど歴史の鍵を握っておられるのはいつも神さま。神さまにしか救済はできません。

 主にあって希望を持てること、主にあって希望が喜びになることを感謝します。アーメンとは、同意して待ちますということ。聖書は神さまの救済の計画書。ご計画の端っこでもお手伝いできることがありましたら召してください。

 イエスさまのお名前で祈ります。アーメン

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