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2022年4月30日 ディボーション

ルカの福音書 24章


『インマヌエル@エマオの道』


”エマオの道”の、珠玉のエピソードはルカにしかない。私たちキリスト者にとって、エマオの道は、うっとり垂涎の、憧れの旅路である。だってイエスさまが同伴してくださるんだから!

 前章でイエスさまは二人の犯罪者とともに十字架にかかられた。犯罪者の一人はイエスさまをののしったけれど、一人はイエスさまを神とあがめ無罪を主張した。その時、イエスさまの言ったみことば。「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(23:43抜粋)

 エマオの道はインマヌエル、パラダイスそのものだ。

 チャーチで今、霊的同伴の学びをしている。エマオの道でのイエスさまは霊的同伴のお手本でもある。

 私たちの霊的な旅路もつまづいたり道草をしたり、迷子になったりする。それでもイエスさまは同伴してくださる。歩調まで合わせてくださる。

「いつも宮にいて神をほめたたえて」(24:53抜粋)いればいいのに、弟子の二人はなぜかエマオへ行こうとしていた。二人はかつて、イエスさまのことを聞き、救い主と信じて家も仕事も捨てて弟子となったのだろう。そのお方が十字架にかかって死んでしまった。その落胆、失望はいかばかりか。エマオは彼らの郷里だろうか。イエスさまが彼らとともに歩き始めても、イエスさまとは気づかない。

「しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。」(16節)

 なのでイエスさまは、十字架のことは知らないそぶりで水を向ける。

「「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。」(17節抜粋)

 二人は、十字架で死んだという肉の目で見た現実だけに囚われていたため、霊の目がさえぎられていた。しかも暗い顔をしていた。暗闇に落とされても光を仰ぎ見なければ、霊の目は開かれない。暗い顔ではイエスさまだと気づけなかった。

 6節の「ガリラヤ」は、私たちにとって聖書のことだ。聖書は、失望した人に、神さまの方から近づいて話しかけてくださる御業に満ちている。エマオの二人にもイエスさまから近づき、一緒に歩いてくださった。

 道中、二人は十字架のできごとや墓が空っぽであることなどをイエスさまに教えた。あれっマウント? 人が神さまに教えるなんて、立場が逆ですよねえ。それでもイエスさまは信仰の薄さにがっかりしながらも、

「それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。」(27節)

 いいなあ、なんとも贅沢な、イエスさま直々の聖書指南だ。エマオのもっと先までも行きそうな勢いで聖書を語ってくださった。

「イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」(29〜31節抜粋)

 イエスさまと出会い、歩いているときは二人が主導権を持っているかに見えたけれど、食事の席でイエスさまがパンを裂く主となった時、二人の目はやっと開かれた。私の主、私の神を知ることができた。

 神さま、エマオの道を歩きながら聖書と聖餐式の大切さを改めて学びました。聖霊さまに助けられて、イエスさまの御顔を見上げられますよう、私をあわれんでください。

 神さま、ルカの福音書を残してくださってありがとう存じます。イエスさま誕生の予告とマリアさまの賛美をありがとうございます。どうかいつも宮にいて神さまをほめたたえられますようお導きください。

 イエスさまのお名前で感謝して祈ります。アーメン


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