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2022年5月11日 ディボーション

イザヤ書11章


「この旗のもとに」

 

 1節「エッサイの根から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」

 10節「その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。」

 

 この「新芽」とは、イエス・キリストのことを指し示している。これは旧約聖書にある「メシヤ預言」と呼ばれるものの一つだ。エッサイとは、ダビデの父にあたる。つまりメシヤ(救い主)とは、ダビデの血筋から誕生するという預言である。

 そして、その通りにイエスは、ダビデの家系、エッサイの根から誕生したのである。(マタイ1:6、16参照)

 

 この「旗」という言葉が心にとまった。12節にも「主は、国々のために旗を掲げ、イスラエルの散らされた者たちを取り集め、ユダの追い散らされた者を、地の四隅から集められる。」と記されている。

「この旗のもとに」イスラエルの民は再び集められる。今現在もイスラエルの民は、世界の四方に散らされている。この12節は、終末において、その散らされた民が再び集められるという預言であり、これはいまだ成就していない。

 散らされた民は、旗がなければどこに集まっていいのか分からない。一つの旗が高く掲げられて初めて集合場所が分かる。この旗とは、まさに「エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。」とあるように、イエス・キリストの事である。

 

「旗」とは、集合場所を示すことと、さらに自分たちが属する所を明確にする役割がある。戦の時には、双方が旗を掲げて敵か味方かが分かるようにする。イエス・キリストという旗を掲げるということは、私たちがこのお方の陣営に属する者たち、神の民であり、神が味方であることを明らかにすることになる。

 

 さらに「旗」とは、自分たちの信条やアイデンティティなどを明確にする役割がある。例えばウクライナの国旗は、上の青は「空」、下の黄色は「小麦」を現わしているそうだ。イエス・キリストという旗を掲げるということは、私たちが、イエス・キリストを「我が主、わが神」として信じていることを明らかにすることになる。

 

 私たち異邦人クリスチャンにとっても、高く掲げるべき「旗」は、イスラエルの民を集める「旗」と同じ「旗」である。

 私たち異邦人クリスチャンとイスラエルの民は、「この旗のもとに」集められ、一つの民となるのだ。

 

 この旗は、比喩としてイエス・キリストのことを表しているが、もし実際の「旗」を教会に掲げるとしたら、どんなデザインがいいだろうか。みんなで考えてみたら実に楽しそうだ。

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