top of page
  • hccnichigo

2022年5月29日 ディボーション

イザヤ書 29章


「ああ、アリエル、アリエル。」と、いきなりわけのわからない聖句がでてくる。

 アリエルというのは、ヘブル語で「神の祭壇の焼炉」を意味するらしく、又は、エルサレムというこでもあるらしい。イザヤがなぜエルサレムをアリエルと呼んだのかというと、祭壇が血で汚されるイメージが、まさにエルサレムが神に裁かれ、その町に血が流れ、多くの死体が転がる状況に重ねられたためであろうと解釈されている。イザヤは、エルサレムが、神の審判を受けることを予言し、そして冒頭から「ああ、アリエル、アリエル。」と嘆いているのである。イザヤの嘆いている様子がイエス様も又、新約時代に嘆かれておられたことが示された。


「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。」 マタイ23:37~38


 ここでも語られているように、神様は、めんどりが雛をかくまうように、エルサレムの民をこれほどまでに愛しておられるのに、民は、神様の御心を踏みにじり、悔い改めることを拒み続けていたということである。イザヤの嘆き、イエス様の嘆きがどれほど大きかったことかと思った時に心が悲しくなってきた。


「主はいわれた。『それは、この民が口先でわたしに近づき、唇でわたしを敬いながら、その心がわたしから遠く離れているからだ。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことである。』」13節


 私もそういう状態におちいることが多々にある。神様、神様と祈りながらもすぐさま、心ここに在らざれずして、心が先ほど祈ったことから遠く離れてしまっている自分がいるのである。だが、神さまは、その時には必ずといっていいほど気ずかせてくださるのだ。悔い改めへの道を示してくださるのである。人間の命令を恐れずに、イスラエルの神を恐れる者は、24節の御言葉が約束されているのである。

「心 迷う者は理解を得、不平を言う者も教訓を得る。」 24節



祈り

愛する天の父なる神さま。

御名をこころからほめたたえます。今日もみことばを示して下さって感謝します。

口先だけの信仰でなくて、心からあなたを敬うことができますように導いて下さい。

感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン


閲覧数:44回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2022年12月31日 ディボーション

ダニエル書 9章 『御心ならば』 ダニエルはエレミヤの預言により、捕囚が70年間であることを知り、あと3年でその期間が終わることを悟った。と同時に、同胞が犯してきた罪に思いを巡らせた。イスラエルの民が幾度となく神さまを裏切ったこと、偶像崇拝で聖都を汚したこと、エルサレム神殿...

2022年12月29日 ディボーション

ダニエル書7章 『ダニエルの見た夢』 ダニエルの見た夢は、4頭の大きな獣であった。2章でネブカドネツァル王が見た像の夢と似通った幻である。第1の獣は獅子のようなもの、第2の獣は熊に似たもの、第3の獣は豹ににたもの、そして第4の獣は大きな鉄の牙を持った恐ろしく不気味なものであ...

2022年12月26日 ディボーション

ダニエル書4章 『聖霊によって変えていただく』 アイゾン直子 ネブカドネツァル王は、数々の奇跡を目の当たりにした結果、イスラエルの神を褒めたたえるようになりました。しかし、唯一の神として認めることはできませんでした。彼は自分が神に等しい者と思っていたのかもしれません。そんな...

Comments


bottom of page